刻の彼方-現代篇・現れし者-


明け方…二人が眠りについている中…
玄関の鍵が音も無く開いた。
そして、玄関扉から室内に入る一つの影…
その影は、ゆっくりと…音を立てずに台所の方へ向かい…そして台所のシンクに着くと、手に持っていた袋の様な物を床に置いた。

その時だ

「う〜ん……弦狼…?」
寝ぼけた優が台所の入り口に立っている。
影の主はビクッとした動きを見せた…
「あれ?弦狼の匂いじゃ無い…」
優は徐々に意識を取り戻し、影の主が弦狼では無い事に気づいてきた様子だ。
ど…泥棒ーー!!」
優の部屋中に聞こえる位大きい声に、ベッドで眠っていた弦狼も飛び起き、台所の方へ急いでやってきた。
「優!どうした!?」
弦狼が優の元へやって来ると…
「げ…弦狼…だ…誰か…そこに居る……」
腰を抜かしたのか、優は床に座り込んでいる。
「だ…誰だ!!?」
弦狼は近くにあった、照明のスイッチを入れた。
部屋中が明るくなり、影の主が光のもとに晒された。

そこに居たのは、弦狼と同い年位の狼族…
「ちょっと待て!オレは泥棒なんかじゃ無い!」
両手を挙げている狼族の青年は、混乱している様子を見せている。
「…狼三郎?」
弦狼が口にした名…狼族の青年もその言葉に頷く。
「なんで…ここに居るんだ?」
弦狼の言葉に優は訳が分からない様子だ。
「いやさ…昨日いい品が入ったから、仕事前に寄ったんだ…」
「…にしても、泥棒みたいな真似するなよ…ったく…しかも時間考えろ!何時だと思ってんだよ…」
混乱している優は視野に入っていない様子で話が進む…
「ちょ…ちょっと。ど…どういう事???」
「あぁ、スマンスマン…コイツは狛沢 狼三郎(こまさわ ろうざぶろう)ってヤツで…その…俺の…前の恋人でな…今は友達みたいな付き合いをしているんだ」
優は心の中で彼…狼三郎の名が引っかかった。
「なんで…その元彼がここに?しかもこんな時間…」
時計を見ると針は午前4時を指している。
優が外を見ると、まだ夜が明けていない…
「オレは寿司屋で仕事してて、魚河岸(うおがし)に行く前に、昨日仕入れた魚の中に上等な物があったから、弦狼に渡そうと思って…」
そう言いながら狼三郎が差し出したのは、タッパーに入った赤身魚…
「赤身だから、醤油漬けにしてもいいけど…早めに食べて」
狼三郎は、タッパーを弦狼に渡した。
「お…おう…」
「それじゃぁ、オレはそろそろ河岸に行かないと大将に怒られそうだから…」

狼三郎が去ったあと…
「スマンな…あのバカ、本当紛らわしい事しやがって…」
頭を掻きながら弦狼は優に謝った。
「う…ううん…僕こそ、大声上げてゴメン…ううっ…」
優は、目を瞑り少し涙ぐむ…
次の瞬間、優の頭に温かく柔らかい感触があった。
優が目を開くと、彼の頭に弦狼の手が乗っていた…
「気にすんな。俺も優と同じ状況になったら大声出す。だから泣くなっ」
「うん…」
優は声を震わせ、頷く…そして、次の瞬間…何か糸が切れたかの様に…
「うあぁあぁあーーー!!弦狼ーー………ぼ…僕……」
優、は弦狼にしがみつき泣きながら床に座り込んだ。
弦狼は、泣きじゃくる優を両腕でそっと抱きしめた…



そして、夜が明け…

優が目を開くと、いつの間にかベッドの上に居た。
「あれ?いつの間に…」
明け方の出来事以降の事を思い出そうとしている優…すると
「おぉ!起きたか」
弦狼がベッドルームの入り口から顔を覗かせた。
「う…うん…ねぇ、僕…」
「あぁ…あれから暫く泣いてて…いつの間にか泣きつかれて寝てたから、俺がベッドまで運んだんだ」
「そ…そうなんだ…ごめん…
優が面目無さそうに謝ると…
「いや、気にしなくても大丈夫だって」
優は弦狼の言葉に「うん」と頷いた。

しかし、優の視線は未だに下を向いていた…




「さて、行くか!」
その後、なんとか軽めの朝食を済ませた二人は目的の『東京江戸博物館』へ向かう支度を始めた。
しかし、優の表情は未だに曇ったままだ…
「……大丈夫か?」
弦狼は優の異変に気がついた様で、声をかけた。
「うん…僕は大丈夫だよ」
優は何事も無いかの様に弦狼の問いに答えた。
しかし、優は気丈に振る舞っているつもりだが、動きに元気が無い…



「そ…そうか…それならイイんだが…」