刻の彼方-江戸篇- -動き出した刻-

あれから時が流れ…
夕刻の町通りを並んで歩く藤十郎と熊兵衛
「何と言いますか…とても嬉しいです。こうやって藤十郎様と御一緒出来るとは」
熊兵衛は藤十郎へ満面の笑みを向けた。
藤十郎も熊兵衛へ微笑み返した。
「あぁ、儂もこうやって歩けるとは夢にも思わんかった」
手こそ繋いでいないものの、ピッタリ密着して二人は歩いていた。
あの日からほぼ毎日、二人はこうして逢っているのだ。

「ところで…今日は、どうするのだ?」
藤十郎は熊兵衛に、何気なく聞いてみた。
「と言いますと?」
一方の熊兵衛は何を聞かれたのか分らず、逆に藤十郎へ聞き返した。
「今日は…儂と一緒に寝てもらえるか?」
少し照れながら、藤十郎は答えた…
「えぇ!今宵も是非お供させて頂きます♪」
先にも増して、熊兵衛は藤十郎に密着する。
「有難う…」
熊兵衛に聞こえない位小さな声で藤十郎は呟いた…
「何か言いました?」
「いや、何でも無い!独り言じゃ!」

そして時にして同日、戌三つ時(午後九時)を過ぎた藤十郎の屋敷…
浴衣姿でお互いの背にもたれあう二人。
「なんて言いますか…未だに緊張します」
双方の背中に伝わるお互いの鼓動…
「儂も…少し緊張しておる…」
見えないながらも、お互い俯いている…
藤十郎が差し出した手…そこにそっと手を乗せた熊兵衛…
熊兵衛が藤十郎の手をギュッと握ると、藤十郎も握り返す…
「本当に良いのか?熊兵衛…」
ゆっくりと熊兵衛の方へ振り向いた藤十郎…
熊兵衛は返事をせず、ただ頷いた。
お互いの鼓動が早くなっていくのが分る…

お互いの唇が近づく…そして優しく重なり、次第に激しくなる口づけ。
「んっ……」
お互いは声にならない吐息を漏らす。
唇が少し離れると、二人を繋ぐ一本の線が見えた…
「あっ!」
熊兵衛の胸に藤十郎の手が伸びると、そっと撫でる。
はだけた浴衣…帯は外れ、互いの手が体に触れ合い弄りあう…
褌には口づけで大きくなった藤十郎の一物が所狭しといきり立っている。
徐々に広がっていく先走りで出来たシミ…
いつの間にか、熊兵衛の褌だけ脱がされていた…

ガラ!
不意に誰かが屋敷の引き戸を開けた音がした
しかし、二人は行為に夢中で何も聞こえていない。
少しずつ藤十郎と熊兵衛の居る部屋に近づく足音…
スゥ〜と開いた部屋の戸に、ようやく気づいた二人…
「と…藤十郎様!!何をやっているのですか?!」
戸を開けた主…それは藤十郎と同じ狼ノ民の青年…
「うお!な…何で居るのだ?帰ってくるのは、まだ先だった筈…」
ほぼ裸で抱き合っている二人に驚く狼ノ民の青年、まさに目が点になっている。
「思った以上に母上の容態が良く…早めに切り上げて帰ってきたのですが…」
「少し、外で待っていてくれ!」
青年は、藤十郎に言われた通り戸を閉めた…
「だ…誰なのです?彼は…」
各自の身なりを直しながら、熊兵衛は藤十郎に問いた。
「この前言った下男じゃ…母上の容態が思わしく無くて帰っていた筈なのじゃが…」
身なりを直していても先走りで濡れ、いきり立った褌は治まらない…
「狼三郎…もう入って良いぞ…」
藤十郎がそう言うと、スーと戸が開き『狼三郎』とやらが再び中に入ってきた…
「先は済まぬかったな…本当に母上は大丈夫なのか?」
何事も無かったかの様に振る舞う藤十郎…
「藤十郎様…少し二人だけで話しが…」
狼三郎は、真剣な眼差しを藤十郎へ向けた。

熊兵衛を部屋に残し、庭に出た二人…
「藤十郎様!町人との交わりは藩から厳しく禁止されているのをお忘れですか!」
二人になるや否や強く藤十郎に問う狼三郎。
「禁止されているのは重々承知しておる…しかし儂は熊兵衛を愛しゅう思っておるのじゃ…」
「この事を藩が嗅ぎ付けたら…軽罰では済まない事になるかもしれませんよ?」
「分っておる…」
藤十郎はそう言うと、後は何も言わなかった。
「藤十郎様がその様な色恋沙汰を続けるのであれば…藩が嗅ぎ付けても私は知りませぬ」
冷酷な事を彼に言うと、狼三郎は何処かへ去っていった…

藤十郎が気がつくと、いつの間にか熊兵衛が部屋から顔を出し、彼の方を見ていた…
「あ…あの…」
熊兵衛の顔が少し曇っている。
「済まぬが…今日は帰って貰えるかな?償いは必ずするから…」
重苦しい空気が漂っている。これ以上熊兵衛をこの場に居させたく無い…そう藤十郎は思ったのだろう。
「おら…一体どうしたら良いんですか?」
少し戸惑いながらも、熊兵衛は藤十郎に尋ねた。
「まだ解らぬ…ただ今は…独りで考えたいんじゃ…答えは数日の内に必ず出す、それまで待っていてくれぬか?」
「…分りました。おらは藤十郎様についてゆく所存でございます」
軽く藤十郎へ一礼をして、熊兵衛は自分の家へ帰っていった。

どれ位経ったのだろう…藤十郎は誰も居ない屋敷を歩き、先程熊兵衛と愛し合った部屋に座り込んだ。
「おや?」
藤十郎の視線の先には、先程藤十郎が脱がした熊兵衛の褌がポツンと部屋の隅に忘れ去られていた。
「次に逢う時に渡しておく か…」
何気なくボソっと独り言を呟いた後、藤十郎は座り込んだまま目を瞑った。

一方、自分の家へ戻った熊兵衛は と言うと…
「おらと藤十郎様…どうなるんだろう…折角相思相愛になったのに…」
耳をシュンとさせ、背中を丸め熊兵衛はブツブツと何か言っていた…
やがて、その声も小さくなり…
「グゥゥゥゥゥ…」と低い唸る様なイビキをかきながら眠りに堕ちていた。
薄らと目に涙を浮かべながら…


翌朝
カンカン と誰かが戸を叩く音が熊兵衛の家に響いた…
熊兵衛は、戸を叩く音で目を覚まし、ゆっくりと戸を開けた。
「誰ですか?こんな朝早くから…」
戸を開けると…そこには、疲れ果てた藤十郎の姿があった。
「と…藤十郎様…どうしたのですか?」
「入っても良いか?」
熊兵衛が頷くと、藤十郎はゆっくりとした足取りで家に入ってきた。
「少し儂の話しを聞いててもらえるか?」
藤十郎が問うと、熊兵衛は「えぇ」と答える。
「…昨晩聞いていたかもしれないが…狼三郎が言った通りになるかも知れぬ…御主は昨晩聞いた事で、儂との関係を切りたいか?」
すると、熊兵衛は涙を浮かべ
「切りたく無いです。おら…藤十郎の事愛しております!死ぬまで一緒に居とうございます!!」
涙を流しながら、熊兵衛は藤十郎に訴えた。

「…そうか。儂も同じじゃ…熊兵衛とずっと一緒に居たいんじゃ!
藤十郎も涙を滲ませながら大声で言った。
その言葉は嘘ではない、素直なお互いの言葉だ。
「藤十郎様…」
「熊兵衛…」
お互いの名前を呼ぶと、ギュっとお互いに抱きついた。


藤十郎と熊兵衛は気づかなかったが、戸の隙間から二人の様子を覗いている鋭い目があった…
お互いが抱きつく所を見た、目の主は何処かへ去っていった。