刻の彼方-江戸篇- -告白-

誰しもが眠りに入る、子の刻四つ時…(午前一時半過ぎ)
藤十郎の家に泊まる事になった熊兵衛。

ゴソ…

暗闇で眠る熊兵衛の布団に、一本の手が彼の脚に入り、彼の脚をゆっくりと撫でる…
その手は次第に熊兵衛の上へ上へと伝い、彼の胸を掴む…
掴んだその手は、優しく胸を撫で…時々強く揉み解した。
「んっ…」
熊兵衛の口から快楽の吐息が漏れた途端、手の動きが一瞬止まった…
がしかし、暫くすると手は再び動き出した。

やがて、手は再び熊兵衛の下へと動き出した。
そして彼の褌を触り、円を描く様に撫で回す…
んっ!」
余程気持ちが良いのか、褌の中にある一物が大きく堅くなり、少し濡れてきた。
指先がその濡れた部分に触れると、その場所をゆっくりと撫でる。
撫でれば撫でる程、濡れたシミは大きく広がっていき、一物も徐々に硬度を増してきた。
すると誰かの口が近づき、彼の作ったシミの周りを舐め回す。
舐めた途端、熊兵衛の体は一瞬弓の様に反り「んっ!」と声を漏らした。
ゆっくりと…ゆっくりと熊兵衛の褌を舐め回す誰かの舌…
舌の動きに合わせビクッと動く熊兵衛の一物…
舌の動きが止まると、手の主はゆっくりと熊兵衛の褌を解き始めた。
シュルッっと言う音と共に、褌は解け彼の一物は一気に空間へと放たれる。

褌が解け、窓から漏れる月夜の光にハッキリと熊兵衛の一物が浮かぶと、手の主はソレを口に含んだ。
「んあぁ!」
ジュブジュブと濡れた音が室内に響いた…
熊兵衛は声にならない声を出していた が。

その時だった…
「な…なんだ!?」
手の主の頭をガッチリ掴むと、自分の足下へ張り倒した。
ゴンッ!
「い…痛ててて……」
暗闇から誰かの声のする…
「え?な…何?おらの格好…えっ!?」
窓から漏れている月夜に照らされ、微かに自分の姿が見えている。
はだけた浴衣…解けた褌…濡れて天を仰いでいる自分の一物…足下で痛がっている『誰か』
「おめぇ!何者だ!おらに何をした!!」
自分が今置かれている状態に混乱しているのか『誰か』に怒鳴り声を上げた。
「う…うぅ…痛てぇ…儂じゃ…藤十郎じゃ…」
月明かりに浮かび上がったのは…頭を抑えた藤十郎だったのだ…

「と…藤十郎様!何をやってらっしゃるのですか!」
「いや…これには理由が…」
苦し紛れに聞こえる言い訳に熊兵衛は聞く耳を持っていなかった。
「おらに『泊まっていって欲しい』と言ったのは、此れが目的だったのですか!」
熊兵衛の目から涙が零れ落ちた…
「済まぬ!しかし、儂の話しを聞いてくれ!頼む!」
「嫌です!おらは此れで帰らさせて頂きます!!」
熊兵衛は自分の浴衣を直し…

ビシャッ!!!

引き戸を強く閉め、熊兵衛は自分の家へ走っていった…
「あぁ…儂は莫迦じゃ…なんて言う事をしてしまったんだ…」
藤十郎が解いた熊兵衛の褌が残っている、部屋に一人残された藤十郎はその場に崩れ落ち、自分のした事に自己嫌悪している…

一方我が家へ戻った熊兵衛は…
「酷い…おらをあんな目で見ていたなんて…酷い…あんまりだよ…おらは藤十郎様の事を想っていたのに…酷い…酷い…」
引き戸を閉めると、今まで流れていた涙が、より一層洪水の様に目から溢れ出てきた。
「うわーーーーーーん!!!!!」
立っている事が辛くなり…熊兵衛はその場に泣き崩れてしまった…


夜が明け、卯一つ時(午前六時過ぎ)

熊兵衛の稽古部屋を訪ねた藤十郎…
「済まぬが、熊兵衛は居るか?」
近くに居た関取に熊兵衛の所在を聞く藤十郎だったが…
「いいえ、今日は何も言わずに稽古に来ておりませんよ?何かあったんですか?」
他の関取に聞いても返ってくる答えは、同じだった…
「何でも無い…邪魔したな…」
そう言うと、藤十郎は稽古部屋を後にした…

関取から熊兵衛の家の所在を聞くと、その足で熊兵衛の家へ向い、家の戸を叩いた…
が、返事は無く中には誰も居ない。
「どこ行ったのだ…一体…」
町中を走り探したが、熊兵衛の姿は無い
一瞬、『自害したのでは』と言う考えが藤十郎の頭の中を過った。
「莫迦な…そんな事ある訳なかろう」
予感を振り落とし、再び町の中を走り回った

しかし、幾ら町中を探しても熊兵衛の姿は無かった。
「まさか…」
その一言を呟くと、藤十郎はある場所へと向かった…
その場所は…最初に出会った、あの枝垂柳のある川…
脇目も振らず、着いた頃には息を切らしていたが、案の定あの場所に…
熊兵衛はうずくまっていた…
「うっ…ひっく…」
あれからずっと泣いていたかの様な吃逆を出しながら、今も泣いている。

「熊兵衛殿…」
彼は一瞬藤十郎の方を見ると…
「一体…何しに…来たんですか…?」
力なき声が熊兵衛から漏れた。
「済まぬ!本当、心から謝りたい!!この通りだ!」
藤十郎は、その場に座り込み、土下座で謝った…
「止めてください…こんな所でしないでください…」
踞ったまま話しをしている熊兵衛…
「構わぬ!人が見ていようがあざ笑われようが構わぬ!お願いだ!話しを聞いてくれ!」
地面に頭を擦りつけ、謝っている。
「御帰り願います…真っ昼間からこんな事されたら、おらも恥を掻きます…」
藤十郎を撥ね除けるかの様に冷たく言い放った…
「せめて…せめて話しだけでも…」
「御帰り願います…失礼ながらも、藤十郎様の顔を見たく無いのです…」
冷たく言い放った言葉は悲しく藤十郎の胸へ刺さった。
「許してくれとは言わぬ…話しだけでも聞いてくれ…」
そう言うと、藤十郎は熊兵衛の元から去っていった…

熊兵衛は顔を上げると、彼の横には団子の包みが置いてあった。
その上には『申し訳ない』と書かれてある紙が乗っていた。


翌日…
熊兵衛は稽古を終え家に戻ると、扉の近くに藤十郎が立っていた。
「なぁ、頼むこの通りだ!」
頭を垂れる藤十郎の姿を横目に、熊兵衛は家に入り、扉につっかえ棒をした。
「お願いだ…話しを聞いてくれ…頼む…」
呪文の様に語りかける藤十郎…
「おらは体目的だったんですよね…だったら別にもう良いじゃないですか…」
扉を隔てて声が聞こえた…しかしその声は熊兵衛のだが…しゃがれた声をしている。
「違う!とにかく、熊兵衛の目を見て話しがしたいんだ…頼む…お願いだ……」

カタン…
木の当たる音がすると、スーっと扉が開いた。
「入って…良いのか?」
熊兵衛は何も言わず軽く頷いた。
彼の姿は、目は真っ赤に充血し、目の下には隈取りみたいなアザがあり…全くを以て生気が無い。
「失礼します…」
扉を閉めると、熊兵衛は奥の部屋に座り込んだ。
「話しとは…なんですか?」
「先日は、本当に申し訳なかった!」
藤十郎は前日にやった土下座以上に深く頭を下げた。
「あの時の儂はどうかしてた。儂の気持ちと逆の事をしてしまったんだ…」
無表情のまま熊兵衛は藤十郎に問う。
「藤十郎様の本心とは…なんですか?おらの体を弄る事じゃないんですか?」
「違う!確かに遣ってしまったが、儂は…」
藤十郎に一瞬の『間』があった…
「儂は、熊兵衛の事を心の底から好いておるのだ…なのに手を出すなんて…卑怯じゃな…」
「一瞬の『間』はなんだったんですか?」
熊兵衛は気になった事を素直に質問した。
「変じゃろう…儂が『男色(男好き)』なのだと言う事が…」

過去に『五月、男色をたむひ(無体)に申し掛け、若衆狂いする事を禁じる』と言う禁令が出されて
町の人も、次第に禁令を受け入れていった…

「確かに藤十郎様が男色なのは驚きましたし、困惑しました…しかし変とは思っていません…」
淡々を話す熊兵衛。
「なぜじゃ?変だろう…」
「おらも男色なので、最初に気づいた時は困惑しましたが…自分を受け入れましたので、変とは思っておりません…」
「御主もなのか…」
「おらの事を好いているとは、体だけ…なんですか?」
一旦反れた話しを戻し、話しを続ける熊兵衛。
「違う!儂は熊兵衛の全てが好きなのだ!」

二人の間に沈黙の時間が流れた…
「おらも…」
沈黙を破って熊兵衛が口を開く。
「おらも、あの時から藤十郎様の事を好いております…先日おらに手を出した時、何故か少し嬉しかったのです…」
熊兵衛は自分の本当の気持ちを言葉にしていく。
「でも、体だけが目的だったのか と考えたら嫌になってきて…」

「本当に済まぬ…とても悔いておるのだ…儂は熊兵衛の全てが好きなのじゃ…最初に出会った時から…」
藤十郎は熊兵衛の本当の気持ちを聞いて、改めて後悔した。
「もう良いですよ、過ぎた事をいつまでも言うのは嫌なので…」
熊兵衛は、ポンと藤十郎の肩に手を乗せ、今までの出来事を打ち消すかの様な笑みをみせた。
「儂を許してくれるのか?」
不安そうに熊兵衛に聞く藤十郎…
「許す…と言うより、お互いの本当の気持ちが分って嬉しいです。おらにとって藤十郎様は、初めて好きになった方です」
「うぅ…っ」
今度は藤十郎の目から涙が零れ落ちた…
「どうしたんですか?おら、何か変な事を言いました?」
「いや…違うんだ…この涙はうれし涙なのじゃ…」
藤十郎の肩から何かが降りた様に楽になった…彼の涙はその気持ちの現れなのだろう。
「もし許しを貰えなかったら…儂は罪を悔いて自害(自殺)していたのかもしれぬわ…」
泣いている藤十郎の頬にそっと手を添える…
「自害なんて止めてください…自分の事をもっと大切にしてください…藤十郎様が謝りに来た時、本当は少し安心したんです。体が目的で手を出したなら藤十郎様は来ない筈と思っていたのです」

次の瞬間、藤十郎の口に温かく柔らかい感触がそっと伝わった…
目を開けると、目を閉じた熊兵衛の顔が目前にある。
ゆっくりと、動く二人の唇…そして唇同様、お互いの心も一つに重なった事を二人は感じた。




これから起こる事は、まだ誰しもが知り得ない事だ…