刻の彼方-現代篇・追憶-


弦狼の家から目的地までは、エアートレインを数回乗り継ぎ到着する所。
しかし、乗る時間が短い為目的地に着いたのは、弦狼の家を出て数十分位だった。
「結構早く着いたな」
巨大な建物を目の前にし、弦狼は息を飲んだ。
「うん、『江戸時代の全てがここにある』ってパンフレットに書いてあった」
「へぇ〜凄そうだなぁ」
窓口で入場券を購入し、二人は博物館の中に入る。
館内には当時の人が着ていた衣服や生活道具、書物や遊び道具がショーケースの中に並べられた。
優はポケットからメモ帳を取り出し、何か書き始めた。
「何を書いているんだ?」
優はペンを止め
「あ、コレは…メモって言うか…」
弦狼がメモを見てみると、ショーケースに入っている品々のスケッチがこと細かく書かれている。
「ほぅ、上手く描かれているな」
メモ帳を優に返すと、優は薄らと照れ笑いを浮かべた。

二人は順路を周り、やがて奉行所の書物が集められたコーナーへやってきた。
「奉行所って…今の警察みたいな所なんだな…」
ケースに並べられた数々の審議を書かれた書類。
その中に『慶応元年 鬼人 葛西 藤十郎』と書かれた書物が目についた。
「なんだ…コレは…?」
『慶応元年 葛西 藤十郎幾多の人々を斬りつけし後、忽然と姿を消せり。其の数日後、浅原(今の浅河区)近場の崖下において亡骸にて発見されし』
写真というものは無いが、弦狼の表情は何故か険しくなった。
ケースをじっくり見ている弦狼を、優は変に思えた。
「どうしたの?何かあったの?」
弦狼の顔を覗き込む優。
「いや…なんだか、これを見ていると怒りと哀しさが込み上げて…」
背中の毛を逆立て、少しイライラしている様に見える。
「え?何見てるの…?」
弦狼の視線の先を見た優…

その時だった
"ドサッ"
優の居る筈の場所で何か重いものが弦狼の横で倒れる音。
弦狼が横を向くと…目の高さには優の姿が無く、彼は床に倒れていた。
「お…おい!だ…大丈夫か!!?
弦狼が幾ら優の体を揺すり、声をかけても優はぐったりとしている。
館内に響き渡る位の大声で優を起こそうとするが…反応は無くぐったりとしている…
暫くすると弦狼の大声を聞きつけたのか、熊族と猪族の二人が大きな体を揺らしながら走ってきた。
「どうかしましたか!?」
警備員と思われる二人が弦狼に声をかける。
「き…急に倒れて…」
しどろもどろに警備員の問いかけに答える弦狼…
猪族の警備員が、自らのポケットから無線機を取り出し…
「奉行所のコーナーで熊族のが一名倒れています!大至急指示をお願いします」
数秒経った後、無線機から雑音混じりで声が聞こえる。
「それでは……A-1238の医務室まで搬送……願いします……」
ただ優の名を呼ぶ事しか出来ない弦狼…
「ああ…優…起きてくれー!」
弦狼も先程まで二人で見ていたショーケースを見上げる。
その途端、弦狼も意識を失い地に倒れこんだ。
薄れゆく弦狼の意識…
「お…おい……」

朧げな意識の中…
便利な物は何もない、深いモヤに包まれた場所の中に弦狼らしき人が立っている。
やがて、彼の視界が開けると…
江戸時代だろうか、木造家屋や和服を着た人々…
その中に一人の熊族の青年が彼の方を向いて立っている…
「藤十郎様…」
熊族の青年が口にした知らない名前…
だが彼は、自分の名を呼ばれているかの様に、熊族の青年の方へ歩を進めようとした。
しかし…幾ら歩を進めど全く進まない…
前に進もうとしても止まれば最初の位置と変わらず…
狼族の青年は、声を出そうとしたが…何故か声が出ない。
なんとか出てきた声…
「熊兵衛ー!」
すると、熊族の青年はニッコリと微笑んだ。


弦狼が次に目を開くと、真っ白な天井が見えた。
「あ…あれ…?」
ベッドに寝ていたのだろうか…ゆっくりと起き上がろうとした時
「おぉ!気がついたか!」
弦狼の横には白衣を着た熊族の中年が座っていた。
「こ…ここは…?」
少しふらつきながらも、弦狼は意識をハッキリとさせていく。
「ここは博物館の医務室です。佐上さん…貴方が倒れたので、ここまで運んできました。怪我は…無い様ですね」
弦狼に話しかけながら、弦狼の目をペンライトで照らす。
「そ…そうだ!優は…一緒に居た人はどうなったんですか!!?」
突然、医師に大声を出す。
「静かにお願いします…あの方なら、隣のベッドに…」
仕切られたカーテンを開けると、ベッドに横たわる優の姿があった。
「彼にも怪我はありませんが……」
少し言葉を濁らせた熊族の医師。
「歩けますか?佐上さん…少しお話したい事があるのですが…」

医務室から廊下に出る医師と弦狼。
医師が身につけている白衣…そこに付いている名札には『大熊 豊』と書かれている。
「佐上さんがベッドで眠っている間、ずっと『熊兵衛』とうなされていましたが…?」
朧げな意識の中で唯一弦狼が言えた言葉…
その時だった。
「大熊医師、熊倉さんが目を覚ましました」
看護士らしき人が医務室から大熊医師を呼ぶ。
その言葉を聞いた弦狼は、医師よりも先に室内へと向かった。
「優!大丈夫か!?」
ベッドの上では少しボーっとしている優の姿があった。
「あ…あ、弦…狼?」
弦狼の姿を見ると、優は次第に虚ろだった目が変わってゆく。
「僕…どうしたんだろう…」
暫くすると優も落ち着き、いつもの表情に戻っていった。
「あのコーナーで、俺が見ていた物を見た瞬間倒れたんだ」
弦狼が状況説明をしながら、横では優の体を大熊医師が診察している。
「この程度なら、熊倉さんも病院に行かなくて済みますね」
その言葉に二人はホッと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございました」
医務室を出る二人…
「どうする?また見に行けるか?」
少し疲れた様子の優に弦狼は声をかけた。
「ううん…ちょっと…」
「そうか…それじゃぁ、また来るとして…今日は帰るか」
肩を落としながらも優は頷き「ごめんね…藤十郎様…」と小声で言った。
「何か言ったか?」
弦狼は優に聞き返す…
「ううん…なんでもない」
弦狼は少し不安感を胸に抱きつつ、家へと戻ったのだった。


弦狼の家に着き、リビングのソファーに腰をかける二人…
「なんか…飲むか?」
弦狼が少し言いにくそうに優に言う。
「うん…お水でいいよ」
少し重い雰囲気が漂う…
「そういえば…」
台所から弦狼の声が聞こえる…
「俺も気失ったんだけど…」
コップ二つを持ってきながら、弦狼は話している…
「気失ってる間、俺…変な夢みたいなのを見てたんだよな…」
「え……どんな夢?」
弦狼が見た事…優に全て話す。
「深い霧が晴れると、優に瓜二つの熊族の人が…俺の方を見ながら誰かの名前を呼んでるんだ…呼ばれた瞬間、俺の気持ちは凄く安らいだんだ。それで…その熊族の所に行こうとして歩くんだけども、全然近づかなくて…」
その瞬間、優の顔色が変わった。
「どうした?顔色…変だぞ?」
「え?な…なんでもない…」
間が空いた後…
「行って、何か収穫あったか?」
弦狼が急に話題を変えた。
「えっ?うん、結構良かったねぇーあの時代の人々の生活とか、よく分ったし」
優の顔にいつもの明るい表情が戻った。
「そうか!それなら良かった」
弦狼も優の笑顔を見ると、自然と笑みがこぼれた。

「藤十郎様…」
優が突然、誰かの名前を呼んだ。
「えっ!?」
その声は、弦狼にもハッキリと聞こえた。
「さっきの…弦狼を呼んだ声って…『藤十郎様』って言ってなかった?」
不安な顔つきに変わっている優…
「あ…あぁ、そう言ってたが…なぜ分ったんだ?」
少し黙った優が、重い口を開く…
「僕も同じ夢を見てたんだと思う。江戸時代で、僕は上の方から見えてたんだけど…地上では、丁度僕と同じ人が処刑されるで、少し遠くで弦狼に似た人が、ずっとコッチを見てて…刑が執行されると弦狼が急に刀を抜いて、僕の居る方へ走ってきてたんだ…途中で狼三郎さんにそっくりの人に止められるけど、振り切って僕の方へ……」
弦狼の様子を伺う優…そして、少し間を置き話を続けた。
「で、暫く時間が飛んで…崖の上に血まみれの弦狼が居て『熊兵衛…何も出来なくて済まぬ…儂も直ぐにそっちへ行くから待っていろよ…』『御主の言う通り…儂等が堂々と手を繋げる時代が来るといいの…『来世』とやらで逢おう…』って涙を流しながら言って、崖から落ちた…弦狼も同じ映像を見てた?」
弦狼は言葉が出ない。なぜだか優の話を聞いていると、自分が体験したかの様にその時の映像が頭に浮かんでいた。
「僕が夢で見ていた人は直感で前世の自分自身なんだ って思えたんだ」
優の話を聞き終えると、二人は再び沈黙した…そして
「…俺が見ていた夢と同じだ…」
ぼそっとつぶやいた弦狼…
「…ずっと、優が言った通り夢を見ていた。夢の中で俺と一緒にいる人の顔はボカシが入ってて分らなかったけれど、俺はその人の事を『熊兵衛』と呼んでいて、その熊兵衛と一緒にいる俺はいつも幸せだった事も憶えてる。最後に見た夢では…その通りの事をして崖から飛び降りた。それに…」
徐々に涙ぐむ弦狼…
「それに…なに?」
次の言葉を待つ優…弦狼はひと呼吸置き
「それに、夢を見た後…優に会いたくて仕方が無かった」
涙を流し、声を震わせながら弦狼が心の内を話した。
"ぎゅっ"
涙を流している弦狼に、そっと優が抱きつく…
「ありがとう…藤十郎様…」
「また熊兵衛に逢えて…本っ当に良かった」
お互いの心を開いた事で、生まれ変わる前の事を、まるで洪水の様に思い出した二人…
キツく抱擁をする二人は、自然と唇を合わせた。

過去には辛い事があった二人…それが今の時代では何も隔てるものは無くなった。




「なぁ…熊兵衛…」
抱擁をしている中、弦狼…いや、藤十郎が口を開いた。
「なぁに?藤十郎様」
生まれ変わっても何も変わらない優…熊兵衛の笑顔。
「い…一緒に…す…住まないか?」
唐突な藤十郎の言葉に一瞬我が耳を疑う熊兵衛。
「えっ!?い…一緒に…何??」
「ああ、もし熊兵衛が良ければ…俺の家で一緒に住まないか?」
少し照れながらも、藤十郎は熊兵衛の目を見て言葉を発した。
「それって…つまり…」
戸惑いながらも、嬉しい表情を浮かべる熊兵衛。
「まだ同性婚法は認められてはいないけれど、数年後には出来るかもな…ただ、そうなる前にでも…俺は、熊兵衛と一緒になりたいんだ」
藤十郎の言葉に熊兵衛の目から一筋の涙が溢れた。
「ど…どうした?いや…なのか?」
藤十郎が少し不安そうな顔つきになる…しかし熊兵衛は首を横に振り
「ううん…凄く嬉しい…嬉しいよ…なんだか涙出てきちゃって…」
次第に涙の量が多くなり…
「ありがとう……言葉にできない位、嬉しいよ…うぅっ〜〜
涙が止まらなくなり、熊兵衛は藤十郎の胸の中に飛び込んだ。

藤十郎は何も言わずに、泣きつく熊兵衛の体を優しく包み込む。