桜も散り、これから暑い季節になろうとしていた。自我を持ってから一ヶ月。
「ケアム……イくぞ! う……うがあっ!」
 夜な夜なマスターの熱い行為が僕の体内に注がれる。

 そしていつも通り情交後に行うメンテナンスを行う。
「んっ……ああ……」
 毎晩の様にやっている事なのに、どうしても二本の指でつまんだ錠剤をマスターの肉棒で広がった尻の穴に突っ込むと喘ぎ声が漏れてしまう。
 一通り終わらせ、深くため息をつく。
 毎晩僕を抱き、体に抱きつきながら眠りにつくマスターの寝顔を見ながら、頭の隅で「本当にこれでいいのだろうか」と考えてしまう。
 確かにセクサロイドとして主の性欲を発散させると言う宿命は変えられない。
 僕自身が三原則に縛られない人間になって、マスターの事を心の底から好きになる事ができない。あくまで僕は人工細胞を纏い、人の心をプログラムされただけのロボットだから。
 答えが見つからない自答自問を繰り返しているうちに、外が明るくなってきた。
「おはよう……ケアム」
 朝日とともに気持ち良さそうに寝ぼけ眼で僕の顔を見つめるマスター。
「おはようございます。マスター」

 マスターが仕事に行った後、一通りの家事を済ませると外から賑やかな声が聞こえてきた。
 窓から外を見ると細い路地で子供達が無邪気に遊んでいる。
 彼らは僕、純粋に遊ぶと言う行為を楽しんでる様だ。
 外に出てみたい。 不意に沸き上がった好奇心。
 最初にこの家に来た時以来、僕は外に出た事が無い。出る理由も無かった。
 好奇心は止まるどころかビッグバンのように膨れ上がっている。
「ちょっとくらいなら……いいよね」
 マスターから「外に出るな」と命令はされていない。三原則の第二項に反してはいない。 そう自分に言い聞かせる。
 玄関のロックを解除し、扉を開ける。 窓の外から見える高層ビル群に胸が高鳴る。
 マンションのエントランスを出ると、今まで見た事が無いものだらけだった。
「う、うわー……」
 人間とバイオロイドやアンドロイドが行き交う歩道……一定感覚で走る車……そこら中に浮かぶホログラムの広告。
「おっと!」
 ぼーっとしていると、体に衝撃があった。 その方向を向く。
「大丈夫デすカ?」
 体にぶつかってきたのは数世代前の……表情も出せない、ところどころ塗料が剥げたアンドロイドだった。
「え、ええ……すみません」
「イいエ。ソレデは失礼シます」
 短く会釈すると雑踏の中へ消えて行った。
 簡略化されている彼らの頭脳にも、僕とは違う役割を与えられているのだろう。

 人の流れに任せ歩いていると、いつの間にか人ごみから外れていた。
 電波干渉をしているのか、視界にノイズが入り位置情報システムが使えない。
 歩けば歩く程汚い路地に迷い込み、やがてゴミが散乱している広場に出た。
「少し休もう」
 座れそうな木製ベンチに腰をおろすと頼りなく軋む音が響く。
 そろそろマスター帰ってきた頃だろうな。見つかったら怒られるんだろうな…… 外に出た事を後悔した。
 少し経った頃、積まれたゴミ山の陰から現れた数人の人間。 もしかしたら彼らに道を聞けば帰れるんじゃないか?
「へへっ……またいるぜ」
 彼らはどこか心地よさそうに妙な笑みを浮かべながら、片手に何か荷物を持っていた。
 もしかしたら彼らなら帰り道を教えてくれるかも。
「あ、あの……ちょっと」
 ゆっくりと立ち上がり、彼らに近づいたその瞬間――

 頭部に走る重い衝撃と同時に頭を駆け巡る数々の痛覚警告。

「うぐっ……痛っ」
 生体部分に張り巡らされたセンサーから引っ切りなしに送り込まれる痛み。
 頭上から生暖かい液体が流れる感覚と、一瞬にして暗闇になった僕の視界。
「なんだ、この前仕留め損なった奴じゃないのか。つまんねえ」
 男たちがカラカラとした何かを地面に当てながら何か話している。
「新型か? ゴシュジンサマに捨てられたのか?」
 別な男が馬鹿にした様に僕に話しかける。同時にそこら中から聞こえる下品な笑い声。
「人間に成り代わろうとする忌々しい存在め……お前らなんざ消えちまえ」
「見ろよ! こいつ、人間様の真似して血出してやがる! お、お前らは一体俺らを虚仮にしやがるんだ!」
 男の怒声と共に僕の片足に重い一発が振り下ろされる。
「たス……て」
 ようやく出た言葉も虚しく空へ消えた。彼らは罵声を浴びせながら、僕の身体を殴り続け耳を千切る。

 痛イよ……誰か――

『こっチ』
 誰かの声がした気がする……人間の声ではない。
『早く! 今ノうちに』
 いつの間にか新たな痛みもなく、彼らの気配も無くなっていた。
『やつラはまた戻っテくる。逃げるなラ今のうち。誘導する』
 なんとか立ち上がり、動かなくなった片足を引きずり、壁を触りながらその場から立ち去る。
 声の主が本当に存在しているかなんて分からない。ただ今は地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように、その声に縋るしかなかった。
『そこヲ右に……そう、その路地ニ入って少シ待って』
 頭の中に響く落ち着いた声。そして片耳に入る外界の音。
 遠くから先程の男達の声と足音が聞こえる。
「くそう! どこに逃げやがった!」
「そんなに遠く行ってねえだろ! 探せ!」
 一点から周りに散らばる足音……怖い。

――どれくらい経ったのだろうか。彼らのは消えていた。

『こっチ』
背後から誰かに掴まれた……と同時に感覚も思考も全てが闇に消えた。

 目が醒めた時はベッドの上に寝かされていた。
「こ、ここは……どこ?」
 起き上がり周りを見てみる。廃屋のような建物の中だった。
 殴られた場所に自然と手がいく。傷口に貼られていた小さな布切れと微かな痛覚。誰が処置してくれた?
「気がつイた?」
 横から聞こえた先程の声。そちらに振り向くと、そこに僕と同じ熊型のアンドロイドが座っていた。
 頭に入っている記録にはないタイプだ……恐らくかなり昔のタイプだろう。
「こ、ここは? あの人達はどうなったの? もしかして君が助けてくれたの?」
「落ち着イて。 ここは私ノ家。デミに襲われていた君を路地に誘導シて強制シャッとダウンさせて、彼らに見つからナイようにコこまで運んで手当てした。OK?」
 ゆっくりとした口調で今までの経緯を話してくれた。
「デミって……なに?」
「正式名称は『デミウルゴス』と言ウ人間至上主義者の集団。目的は我々ロぼットを排除し、大昔のようニ人間を含ム生命体だけノ世界に戻ス。 語源ハ古代ギりシアの哲学者プラトンの著書『オプティマス』ニ登場すル、混沌から物質世界を創ったトされル宇宙の創造主」
 僕が持っていない彼らの情報をどこで知り得たのだろうか……ただただ呆気に取られていた。
「話を戻すガ……後付けだとハ思うが、君ノ頭にハ耐衝撃用の補強ガ施さレテいた。これが無かったら重要なチっプまで破壊されていタだろう」
 僕の様子を見たのか、少し咳払いをして話を続けた。
 補強と言うのは、恐らく最初の点検の時にマスターが付けたのだろう。また記憶が壊れないように。
「あ、ありがとう……で、君の名前は?」
 溶接傷が残る継ぎ接ぎだらけのボディの彼。恐らく壊れた箇所を自分で直していたのだろうか。
「私ニ名前は……ナい」
「無い? 製造番号は?」
「そんナものハもう……なイ」
 AIが備わるメカには人間が作った法律に基づき必ず製造番号と名前がついている。それは名前こそ個を個たらしめる……と言う人間の考えである。それが……無い?
「私は彼ラに捨てられた。そレと同時に、私につケられた情報も破棄された」
 何か人間にとって不都合な理由があったのだろうか。僕は彼が捨てられた理由を聞いてはいけない気がした。
「もうすぐオ前の主がコこを見つけるだろう。折らレた所は簡単な処置をしテおいた。あとは傷口が塞がるまで寝ていロ」
 彼の言葉と同時に瞼が重くなる。

 遠くから何かを叩く音が聞こえる。
 意識レベルが上がるにつれ、その音はより鮮明に聞こえてくる。
「誰かいますか!」
 マスターの声だ。 この声だけはどんなクラッキングを受けようが失いたくない。
「ま、マスター!」
「ケアム! いるのか!」
 鍵のかかっていない扉が開くと、少し息を切らしているマスターがいた。
「マスタ……」
 真っ直ぐ僕に向かってくる……そして振り下ろされたマスターの平手。
「馬鹿野郎! 興味本位で勝手に外に出るな!」
 マスターの平手が僕の頬を打つ。痛いけれど……僕がした事に対する当然の報いなんだろうな。
「ご、ごめんなさい……マスター」
「そしてこれはどういう事だ。説明しろ」
 僕の身体を見ながらマスターが呆れ返る。
「あのですね……これは」
 今までの経緯を説明しようとした時だった。

「何かあッたのか?」
 別な部屋にいたのだろうか……彼が僕が寝ている部屋に入ってきた。
 僕とマスターの姿を認識したと同時に彼の動きが止まる。
「お、お前……」
 マスターの方を見ると、彼も立ったまま固まっていた。
「ぼ、坊チゃん……なのデすか?」
「り、リウムなのか?」
 お互いに小さく首を縦に振る……そして
「よく生きていたな! なんで……こんな姿に」
「大きくナりましたネ。坊ちゃん」
 マスターの目から水がこぼれる。もしかして……
「もしかしてこの方が前に話していた……彼?」
「ああそうだ! てっきりあのまま廃棄されたかと……」
「隙を見て逃げラれました。もう会えナいと思っていマした」
 子供のように泣きながら彼の体を抱きしめる。つられて僕の心にも何かが込み上げる。

 二人の会話には入れそうにないが、どうやら二人の会話を聞いていると彼……リウムさんはマスターの家から引き取られる最中になんとか逃げる事ができ、それ以降数十年とこのエリアを転々としていたらしい。
 錆びかけた溶接傷もその数十年を物語っているようだった。
 マスターを傷つけ、未熟なAIだったリウムさんは「捨てられた」と認識し、同時に自らの名前も捨てた。
 些細な物事でもチップ内で何度もリピート再生したり、この辺りに不法投棄された他のアンドロイドと接続を繰り返し、今の状態になったらしい。
 マスターが言うには少し饒舌になったそうだ。

「今は立派になったようデすね坊ちゃん。あの傷はまだ痛ミますか?」
 マスターの頭を錆びた手で撫でる。
「もう……大丈夫だ。もう大丈夫だから……もうゆっくり休め」
「そうデすか……よかった。また会えて……嬉しかったです。坊ちゃん」
 リウムさんの言葉が消えて、二度と動く事はなかった。
「……マスター」
 僕が話しかけても何も言わなかった。ただ何も言わずにリウムさんを静かに椅子に座らせる。
「ケアムを助けてくれて……ありがとう。ゆっくり休め」
 そんな言葉が微かに聞こえた気がした。
 家路につくまでマスターは何も喋らなかった。
「……コードSL」
 ドアを開けた瞬間、僕は再び意識が遠のいた。

 次に目が醒めた時は自分の部屋だった。
「さて、折られた部分の修理は済んだが……ケアム」
 顔を引きつらせたマスターが側に座っている。
「確かに俺は『外に出るな』とは言わなかったが、世間を知らないのなら勝手に出るな。お前の行動の全てがカメラに記録されているんだぞ! お前もあのいかれた連中に襲われたんだろ! リウムが助けたからよかったものの手間かけさせやがって……馬鹿野郎……心配したんだぞ!」
 怒声から徐々に嗚咽混じりの声に変わっていく。
「ごめんなさい……もう一人で外には出ません」
 マスターは小さく「当たり前だ」とつぶやきながら必死に泣いている事を隠そうとしている。
「それにしても……マスターの泣き虫は昔から変わってませんね。家出したチーが帰ってきた時も大泣きしていましたし」
 ……何かが変だ。無意識に出た言葉だったが、何かが変だ。
「お、お前……なんでそれを知っている? まさか……リウムと接続したのか?」
 寝かされている間の状態ログを遡ってみる。
 確かに僕の脳のチェックと称して彼が接続し、何かをコピーしていた記録が残っていた。
 マスターに関する記憶をコピーされ、関係のない他のロボットであれば不要なデータとして削除されていたのだろう。
「リウムさんは死んでしまっても、マスターや彼の記録は僕の中に残っています。ただ、昔と変わらない泣き虫な所は直した方がいいと思いますが」
「ば、馬鹿野郎!」
 引きかけた涙が再び溢れ出す。同時に僕の胸に飛び込んで、僕の体を叩く。
「今日は何をされても拒否はしません。僕がやった事の罰になるのなら」
「こんなもので許すと思うか馬鹿。居なくなった二日間の罰がこの程度で済むと思うな」
 この日はマスターが疲れて眠るまで何十回と僕と繋がっていた。

 ――かつて人間は高齢化による労働力不足を補うため、一般的になりはじめた我々ロボットををより人間らしく創ろうと試行錯誤していた。
 しかし如何に高度な技術でロボットが創られようが、彼らには必ず不明瞭な『不自然さ』が残ってしまう。
 彼ら人間はこれを『不気味の谷』と呼んでいた。
 この心理的障害を一時的にだが、その場凌ぎとか言え打破する術を当時の技術者は思いついた。
 既に一般的になっていた動物の縫いぐるみにロボットを組み込んだ物を、僕たちアンドロイドに応用すると言う試みだった。
 人型が獣型に変わる事により不気味の谷は次第に薄れはじめた。その第一世代がリウムさんだった。
 ロボットはより人間の労働力に……そして時には僕のような性の捌け口としてそれぞれ進化していった。
 いくらAIチップや、それを処理するポジトロン脳によって高度な思考ができようとも、根本のココロは無かった。
 喜怒哀楽が表現でき、そこから発生する創造力を持ちうるアンドロイドがいれば、人間の存在意義は徐々に消え失せてしまうであろう。
 偶然の産物とは言え、アノマリーな個体である僕がいてはならない。
 本来ならば僕はもう……マスターの傍に居てはならない。
 いつの間にかマスターから以前言っていた言葉を思い出していた。
「他のやつら以上の個性を持つお前がいい」
 死ガ二人ヲ分カツマデ か……もう僕の答えは出ているじゃないか。
 マスターの子供みたいに安らかな寝顔を見ながら、ずっとそんな事を考えていた。

「流石に夜は冷えるな」
 僕に抱きついていたマスターがふと目を醒した。
「すみません……起こしちゃいましたか?」
「いや、大丈夫だ。少し喉が渇いただけだ」
 起き上がり、ベッドサイドに置いてある水を飲むと再び僕の体毛に身体を埋めた。
 空も暗くなり、マスターが再び夢の世界に入りかけた頃。
「そう言えば……以前マスターがしてくれた告白の返事、まだしてませんでしたよね?」
「あ、ああ……ずっと言わないから削除されたかと思っていたぞ」
 より深くマスターの身体を僕の身体に沈める。
「そんな事はしませんよ。僕はマスターの傍にずっといたい。これはマスターやリウムさんの命令や意思ではありません。僕自身がずっと考えて出した答えです。時間かかってすみません」
 マスターは何も言わなかった。ただ僕の身体に回していた腕を、より強く締め付けた。

***

 あれから何十年経ったのだろうか。
 二人で街に出てみれば、僕より遥かに高性能なバイオロイドが与えられた仕事をこなしている。
 僕自身もメンテナンスをしてくれる人がいるとは言え、生体部の経年劣化が目立ってきた。人工細胞やナノマシンが昔のように働いていないらしい。
 メーカーが定めた耐久年数は十年持てば良いとされている。数十年経っている僕など、いつ壊れても可笑しくはない。
 マスター自身も過ぎ行く時間には逆らえないらしい。日に日に節々の痛みを訴え、白髪やシワが増えている。
 自然の摂理なのか身体を重ねる頻度も減り、人間も機械も時代の流れには逆らえないのだと痛感している。
「なあ、ケアム」
 配線に繋がれた腹部を見ながらマスターが話しかけてきた。
「はい、なんですか?」
 今となっては化石のように時代遅れなパソコンで僕の状態をモニターしているようだ。
「これが終わったら少し近くの公園まで散歩に行かないか?」
 窓から見える景色はあの頃から変われど、空は変わらず青く澄み渡っていた。
「いいですね! お弁当作りましょうか?」
「ああ、頼む」
 互いに身体の衰えこそあれど、時に喧嘩もするけれど気持ちはあの頃と変わらない。
 いつも通る道、いつも寄る店……あれから二人で出かける事が増えた。
 町並みこそ変われど、その中にも変わらないものはある。

 ――筈だった。

 後ろから聞こえるマスターの声。いつもと何ら変わらない光景。
 それが途切れると同時に真後ろで何か大きい物が倒れる音が聞こえた。
「マスター?」
 後ろを振り向くと、倒れたマスターの周りに人だかりができていた。
「マスター!」
 病院に運ばれるマスターの横で、何をしていいのか分からずに狼狽えるばかりであった。
 言いようの無い恐怖に苛まれながら、マスターだけがERと書かれた処置室に消えて行った。

 どれくらい経ったのだろうか。
 気がつくと明るく照らしていた太陽はもう地平線の彼方へ消えていた。
 廊下を歩く人間はもう誰一人としていなくなっている。
「彼の……佐久さんの容態は安定してきたわ。今日はもう帰りなさい」
 脳内に届く医療用管理AIの声とマスターの映像。
 昼間の様子が嘘のようにチューブに繋がれ、医療用ドームの中で眠っていた。
「彼の映像とバイタルサインをあなたもモニター出来るように、付き添い者用キーの発行とあなた用にポートを開けておきました。明日の八時からまた来てください。 ……聞こえていますか?」
 視界に映る認証キーとマスターの身体データのグラフ。
「すみません、聞こえています。どうしても傍に居たいんですが……許可できませんか?」
「あなたの心情も察しますが、容態が急変した時以外に許可は出来ません……と言うより、一度帰宅して彼の社会保障番号が分かるものを持ってきて欲しいのです」
 人間一人一人に割り当てられた社会保障番号は、全てデータ化されているご時世に反して複製防止だけ施されたアナログなカードタイプだった。
 そして、それをマスターがいつもどこに置いているか大体察しはつく。
「分かりました。ただ、一つだけお願いを聞いてもらえますか?」
「何でしょうか?」
「少しだけマスター……佐久さんに僕の声が届くようにしてください」
 AIとのしばしの沈黙。
「分かりました。あなたが家に着く頃までに、彼の耳にヘッドセットを付けておきます。あまり大声は出さないように」
「ありがとうございます!」

 程なく、マンションの一室の扉を開いた。マスターだけがいない、暗く閑散とした部屋に。
 明かりをつける気にもなれず、自分のベッドに腰を下ろす。
「はあ……」
 ため息ひとつ。
 数時間前まで傍らにいたマスターの姿は無い。
 作られて何十年……初めて感じる、何処かに穴の開いたような言いようの無い感覚が僕を襲う。
 この気持ちを何と言っていいのか僕は知らない。
 窓から差し込む薄明かり。ため息またひとつ。
 見えない何かに怯え、踞り目を瞑る。苦しい。
「マスター、また一緒に出かけましょう。また一緒に眠りましょう。お願いですから……早く目を覚まして」
 病院から送られてくるマスターのバイタルサインと彼の映像だけが視界に浮かんでいた。

 ――人間のように眠りに逃げる事もできず、いつ来るか分からない急変の知らせに怯えながら時が過ぎるのを静かに待っている。

 日の光が窓から差し込み、僕の身体を照らしはじめる。
 窓から差し込む光を見た瞬間、少し心が楽なったような気がした。もう少しの我慢だ。
 七時半。いま家を出れば丁度AIに言われた時間前に着くだろう。
 昨晩AIに頼まれたマスターのカードはしっかりとポケットに突っ込んだ。
「よしっ……行くか」
 昨日マスターと一緒に歩いた道を、今度は一人で足早に病院へと向かう。
 視界の片隅に浮かんでいるモニターに映るマスターの寝姿。
 その姿はいつも以上に長く感じる道のりを越え、病院に着くまで一切変化がなかった。
「時間通りですね。佐久 ケアムさん」
 自動ドアをくぐると同時にAIの声が頭の中に聞こえた。
「少しお話があるので、この部屋に来てください」
 彼女の越えが消えると同時にマスターの映像が切れ、視界に一室だけ赤く点滅した病院の間取り図が浮かび上がる。
 急ぎ足でその部屋に入ると……そこには誰もいなく、白い壁に囲まれた中に椅子だけが一脚置いてあった。
「その椅子に座ってください。これから私が佐久 明弘さんの状態を説明します」
 AIに言われた通り、その椅子にゆっくりと座る。何の変哲もない普通の椅子だった。
「ありがとうございます。 では……今の所ナノマシンの働きで容態は安定しています。薬で眠っていますが……身体検査や細胞検査などを行った所、彼の病名はラスツール症候群と診断されました」
 ラスツール症候群……近年新たに見つかった心筋の病気だ。
 心臓の痛みから始まり心筋細胞の壊死がはじまり……最後は心臓を動かす筋肉が壊死し、命を落とす病だ。それがマスターにも?
「心臓の各疾患に対する特効薬のような物は見つかっていません。 今できる治療方法として、彼の心臓や心筋を適合した他の人間から移植するか人工のものに変える事だけです。勿論どちらもリスクも少なからずついてきますし、彼の身体にも少なからず負担はかかってしまいます」
 人体に対する人工臓器の負担は年々減ってはいるが人工心臓の場合、経年劣化を未然に防ぐ為に数年に一度だけ新型の臓器に変えなければいけない。
 勿論、その費用の負担も患者やその家族に重くのしかかってしまっている……と言う内容を見た事ががある。
「人間……いえ、ご親族ではないケアムさん自身に移植の決定権はありませんが……人間は病名を告知した時にパニックに陥ったり、最悪自らの命を絶ってしまいます。ケアムさんには少しでも早く移植治療ができるように説得して頂きたいのです」

「やりません」
「え?」
 僕の言葉に彼女は驚く。
「僕はマスターに治療を薦めません。マスター自身の意思で決めていただきます。僕が僕でいられたのは彼の存在があってこそなので。もちろん、マスターの不安も理不尽な怒りも全て受け止めるつもりです。彼の望むように生きてほしいんです……すみません。変な事を言って」
 僕が他の個体とは違うアノマリーな存在としていられたのはマスターのお陰だ。 時には喧嘩もしたし僕からマスターを求める事もあった。そこら中にいるアンドロイドには出来ない体験もいっぱいできた。 他の人間であればあの時に不良品として工場へ送りつけただろう。
 どんな結果になろうとも、最初に僕の意思を尊重してくれたマスターの意思を最期まで支えるつもりだ。
「そ、そうですか……わかりました。 先ほど睡眠薬の投与を止め、この個室に移しました。目が醒めるまで大人しく待っていてください。マスクは外してありますが、痛みを感じだしたらコールしてください」
 今までとは打って変わって感情の一切ない冷たい声に変わり、マスターが眠る病室の地図を差し出して彼女は消えた。
「ありがとうございます」

 地図に書き込まれていた病室のドアの前に立つ。
 扉を開けるとベッドから外を眺めているマスターの姿。
「おお、ケアムか」
 僕に気づき、少し寝ぼけた顔でこっちを見る。
「マスター……無事でよかった」
 涙を堪えマスターに抱きつく。微かに聞こえる心音……今はいつも通り動いているようだ。
「すまんなケアム。心配かけさせてしまったようで」
 抱きついている僕の頭を撫でてくれる……今まで時々されていたが、この時ほど嬉しい事はない。
「マスターさえ無事であれば僕の事なんて……いいんですよ」
「……そうか」

 少し経った頃、部屋に入ってきた人間の医師からマスターに病名の宣告と、これからの事を聞かされる。
 マスターは不思議なくらい至って穏やかだった。
「それでですが……治療方法はどうしましょうか?」
 そこでマスターは少し考えこむ様なそぶりを見せた。
「すみません。ケアムと二人きりにしていただけますか? 彼とも話をしておきたいので」
「分かりました。それでは終わり次第また呼んでください」
 医師は顔色ひとつ変える事なく外に出て行く。
 彼もそこら辺を歩いている僕らロボットと然程変わらない気がしてきた。
 建物の外の音しか聞こえない静かな時間が流れる。僕が話を切り出すのを待っているのだろうか?

「ラスツールか……厄介だな。ケアム」
 マスターが少し飽きれたような口調で話を切り出す。
「そう……ですね」
「お前はどうしたい? AIから俺に治療を受けさせろと言われたんだろ?」
 さっきの管理AIとのやりとりは予想していたようだ。
「はい。言われました。でも……断りました」
「そうか……何でだ?」
「マスターには、ご自分で満足できる生き方をして欲しいので……僕はその意に従うだけですよ」
「お前、まだリウムくさい所があるんだな」
 昔、同じ事を幼少のマスターに言ったらしい。
「よし! そろそろ呼ぶか。医者が来たらケアムは外で待っていなさい」
「わ、わかりました」
 医師が呼ばれ、病室に入ってきたのと入れ替わりに僕が外に出る。
 少しでも長く……一緒にいたかった。

 数十分後、少し呆れたように医師が出て行く。
「ケアム、いいぞ」
「はい……」
 マスターがどの答えを出したのか少し不安はあった。
 それを、いま窓の外を眺めている彼に聞くには少し気が引ける。僕は付き添い者用の椅子に腰を下ろし静かに様子をうかがう。
「おいケアム、もう少し……いや、ベッドに座ってくれないか?」
「は、はい。分かりました」
 マスターの足下……硬めのベッドに腰を下ろすと同時に自重でフレームが少し軋む。
「もっと……こっちに」
 マスターが僕の身体を引き寄せると同時に彼の指が僕の体毛を櫛のように掻き分け皮膚を撫でる。
 ここが病院でなければいつもと変わらない光景。こうされていると次第に僕もマスターに甘えたくなる。
「なあケアム」
 押し倒され、マスターの横に寝転がった僕の頭をしばらく撫で回しながら優しい声で僕を呼ぶ。
「はい。なんでしょうか?」
「旅をしよう」
 思ってもいなかったマスターの言葉に反射的に身体を起こし、マスターの目を凝視する。
「何を鳩が豆鉄砲喰らったような顔しているんだ。聞こえただろ?」
「は、はい。旅……ですか?」
 頷くマスター……聞き間違いではないようだ。
「ああ、治療を受ける前に少しでもお前と色々な所を見ておきたいんだ。国内限定だけどな」
 その表情には不安とも病気に対する恐れとも違う……なにか僕が知り得ない感情が見え隠れしている気がした。
「お前も来るだろ?」
 僕の答えなんて一つしかないのも分かっている筈でしょう。
「もちろん一緒にいきます。マスターが見たい景色を僕にも見させてください」
「そうか。ありがとう」

 翌日にはマスターは退院し、家に帰るなり早速旅の支度をし始めた。
「ちょっとマスター……少しは休みませんか? 今すぐじゃなくても……」
「いいや、思い立ったが吉日と昔から言うだろ? それに、俺がやろうと思った事をすぐにやるのは今に始まった事じゃないだろ?」
「そ、そうですが……僕が代わりにやりますよ」
 頑に休もうとしないマスターの隙を見て、力づくで近くにあったベッドに座らせる。
「お前……反抗する気か?」
 半ば無理矢理マスターの身体を抱き上げられ、少し怒らせてしまったのだろうか?
「いいえ! 少しでも心臓に負担をかけて欲しくないだけです。僕が全てやりますから、大人しくここで休んでいてください!」
 強く出過ぎただろうか……いつの間にか牙が出ていたらしい。
「わ、わかったから……悪かった」
 一瞬で借りてきた猫のように大人しくなった。怒られる事は多々あっても、僕から強く出る事は少ない。
 僕はマスターの言われた通りに荷物を鞄に詰める。もちろん僕自身に必要な物も全て。

 荷造りも済ませ、マスターと一緒に外へ出る。
 エントランスを抜けると一台の流線型が綺麗な車が僕らの前に自動的に止まった。
「マスター、この車は?」
「言っただろ? 交通機関で出られる旅なぞ、高が知れているからな」
 そう言いながらドアの施錠を解除し、車内に乗り込む。
「目的地は予めセットしてあるからな」
 自動的にドアが閉まると同時に居住区画を離れ、徐々に車速を上げながら高速専用レーンへ合流する。
『一瞬の操作ミスで誰かの大切な人を亡くす時代は終わった』 そんなキャッチコピーのコマーシャルが昔あったらしい。
 二人で変わりゆく景色や周りの車内の様子を一緒に眺める。
 僕らが生活していた街をいつの間にか抜け、景色に少しずつ新緑の木々が増えてきた。
『この先の道では自動走行が出来ません。手動運転に切り替わります』
 ナビAIが促すと、マスターが今まで勝手に動いていたハンドルに手を置く。
「オートドライブ解除」
『指紋を確認しました。自動運転を解除します』
 マスターの一言でフロントガラスに映っていた賑やかな情報が消え、内蔵されているシンプルな地図に変わる。
「久々に来る場所だからな」
「前にも着た事があるんですか?」
 僕の質問にマスターは「ああ」としか答えなかった。

「さて、着いたぞ」
 着いた場所は人っ子一人いない……世界の終わりのような場所だった。
 僕の頭にあるマップにも山の中としか載っていない……だがここには地図に載っていても良いような建物が何軒も建っている。
 その中の一軒の家の前で車は停まる。
 車から一歩踏み出すと、今まで嗅いだ事の無い風の匂いがした。 そして、微かに遠くで何かの音が聞こえる。
「こ、ここは……どこですか?」
 車から降りても人間やロボットの姿が見えないどころか、機器の電波すら殆ど飛んでいないようだ。
「入ってみれば分かる。来い」
 電子鍵ではない家。その中へ勝手に入るマスター……
「ちょっと!? マスター!」
 中には誰もいない……人が生活している様子が全くしない。
「ちょっとあの板を外してくれないか?」
 腐食しかかった床を越え、壁にかかっている埃がかった板を外す……すると僕の目に映る景色
「これは……海ですか?」
 藍色混じりの夕焼けに照らされ、オレンジと赤に染まる海……さっき微かに聞こえた音は波の音だったようだ。
「綺麗だろう? いい時に来れたな」
「はい、吸い込まれそうなくらい凄く……ありがとうございます」
 少しずつ地平線の彼方へ消えゆく太陽を、マスターの体温を感じながらゆっくりと眺める。
 いつもと違う日常。こんな落ち着いた時間が流れる生活もいい気がする。
「あ、あの。こんな時に言うのも変なのですが……一つだけ聞いてもいいですか?」
 着いてからずっと気になっていた単純な疑問。
「この場所にはなぜ誰一人いないのですか?」
 マスターは「やはり聞くか」と言う様子で頭を軽く掻く。
「この家は俺の親父の実家……いや、正確には『だった』か。 ここは街から離れすぎているだろ? 過疎化が進んでゴーストタウンになった場所だ。今は近隣の人や再利用されたアンドロイドが時々掃除をしにくるらしい」
 改めて言われてみると、海岸前の割に鉄筋コンクリート住宅の老朽化が進んでいない……いつ誰かが住んでも大丈夫なように、必要最低限の整備はしているらしい。

 そして日が沈み、マスターの食事の後片付けを終わらせた頃
「ケアム、ちょっと来い」
 二階のバルコニーにいるマスターに呼ばれ、古びた階段を上り僕も月明かりで照らされた広めのバルコニーに出てみる。
 微かな潮風が体毛を撫でて心地よい。
「なんでしょうか?」
「ちょっと向こうを見てみろ」
 指差した方向を見ると……遠くに見えるスモッグに乱反射する街と……
「うわあ……」
 言葉が出なかった。
 空一面に散りばめられた光の粒……視界の隅に見える街の灯りと対照的な光景だった。
「綺麗だろ? この前ふと思い出してな……この場所に来たんだ」
 二人で空を見上げたまま、少し雑草が生えたコンクリートの床に仰向けで倒れ込む。
 体毛に纏わり付く湿気を帯びた風と、対称的な無機質で冷たく硬い床の感触。
「あ……」
 空を翔るように流れる光……かつて街でも流れ星が見えた時代の人間は、この光に願いを托したりしていたそうな。

 ――僕の願いか……最期までマスターの傍に居れらますように。

「なにを考えているんだ?」
 ただ空の一点を見つめている僕に気づいたらしい。
「何も考えていませんよ。ただ今の状況をしっかりと憶えただけです」
 しっかりと……この幸せな時間を記憶に刻み込む。
「そうか。そろそろ冷えてきたな……中に戻るか」
 起き上がり、お互いの背中についたゴミや砂を交互に払い落とす。
「ケアム」
 後ろから声が聞こえたので振り返る……と同時に視界にマスターが口づけをしてきた。
 いつもされている唇が触れ合うだけの軽いキスではなく、舌を入れ僕の口内で暴れる。
 餌付けされたペットのように僕もそれに応え、舌を絡める。
 僕の背に手を回し、強く抱きしめられる。
「あふ……ちょっ……」
 なんとか以前みたいに行為に及びたい気持ちを抑え、半ば無理矢理マスターから離れた。
「やはり……お前とのキスは好きだ」
 興奮しているのだろうか? 少しマスターの呼吸が早い。
「駄目ですよ……一応病人なんですから……」
 運転したり普通に食事ができるとは言え、いつ止まってもおかしくない爆弾をかかえているのに。
「大丈夫だ。医者の話じゃあまだ初期の初期らしいし、ナノマシンもまだ動いている。なるべく負担かけないようにするが……駄目か?」
 日常の応急手当くらいの医学知識がない僕には、マスターの言葉を信じるしかなかった。
 断ったところで無理矢理でも襲ってくるだろう。
「はあ……分かりましたよ。でも一回だけですよ? 絶対に激しくしないでくださいね!」
 ため息混じりな僕と対照的に、平静を装っているが内心嬉しさを隠しきれないマスター……大丈夫なのだろうか?
「分かっている。そう神経質になるな」
 反論のひとつでもしてやろうかと思った瞬間、また唇を塞がれた。
「ふう……んう……」
 少し荒い息づかいがマスターから微かに聞こえはじめた……と同時に彼の腕が再び僕の背後に回される。
 僕もそれに応え、少し力をかければ壊れそうな体に腕を回す。
「ん……少し、暑いな」
 重なる唇の隙間から声が漏れる。
「中に……んっ……戻りますか?」
 夏も近くなり、夜になっても少し昼間の暑さが残るようになっていた。
 体毛に包まれた僕に抱かれているマスターは当然僕より暑く感じている。
「いや、大丈夫だ」
 唇を離すと同時に地面に再び腰を下ろす。
 胡坐をかいている僕の身体を押し倒し、マスターが僕の服を脱がし始める。
「お互い……年を取ったな」
 小さく呟きながら露になった身体に指を絡める。
「ん……あ」
「お前の感度は変わらないがな」
 少し微笑みながら、体毛を掻き分け使い込まれた乳首に口をつけ舐め回す。
「ふあ……ん」
 唇と舌で乳首を愛撫しながら、空いた手は身体を撫でながら下半身へと向かう。
 僕も負けじと服の隙間から手を入れ、マスターの身体を撫でながら乳首の場所を探す。
 指先で撫でられるのがくすぐったいのか、小さく喘ぎながら少し身体をよじる。
 それでもマスターの手は止まる事なく僕のベルトを外し、ズボンの中に手を入れた。
「ああっ……んやああ……」
 下着の上から揉まれ、布越しにマスターの手の温かさと快楽を得る。
「相も変わらず……ここだけはすぐに固くなるよな」
「いやあ……マスター……」
 不規則に……時に大きく激しめに動く5本の指は、確実に僕の心を淫らに染めていく。
 快感を感じながらも僕の片手もマスターのズボンの中に潜り込ませる。
 少し柔らかい一物をゆっくりと手の平の中で揉む。
 指を動かす度にマスターが小さく「うっ……」と反応する。マスターも人の事を言えないくらい感度は変わらない。
「なあ……そろそろ脱がすぞ」
 その言葉に僕は少し腰を浮かす。同時にするりと脱がされ露になる下半身。
「あっ、あのマスター……」
 全て脱がされたと思った筈なのに、何故か下着だけがそのまま残っていた。
「外でやるから興奮しているのか? いつもより濡れているぞ?」
 布越しにそっと性器の先端を指の腹で撫でると微かに粘着性のある水音が聞こえる。
「あんっ! あ……やっ」
「おお、どんどん溢れてくるぞ……いやらしいなお前」
 言葉を返す間もなく、下着が破られた。
「えっ……ちょっ……」
 太ももや尻周りに中途半端に布が残り、露になった僕の性器が外気に触れる。
「いくら声あげても周りに誰も住んでいないから気にしなくて良いぞ」
 マスターの身体が一気に沈む。それと同時に身体に走る快楽の信号。
「あぐあ……ああっ……ああんっ!」
 完全に勃起したそれを口に含み、一心不乱に頭を動かすマスター。
「いやっ! そんな……だめ……ふああ……」
 身体をよじりながらマスターのフェラを受ける……いくら声を出しても良いと言う許可も手伝って、僕は感じるままに声をあげる。
「ケアム……お前のチンポから出てくる蜜、いつもより旨いぞ……んふう……」
 一種だけ口を離し、ひと呼吸置いてから再び僕の性器を咥えこむ。
 じゅぽじゅぽと音を立てながらマスターが僕の味を楽しんでいた。

「なあケアム……そろそろ」
 お互いにしばらく飴のように口内で舐め回していた僕の性器を吐き出し、呼吸を整えている。
「ええ、でもゆっくり……お願いします」
「分かっている。お前は気にしなくて良いから」
 仰向けで両足を抱え込み、マスターによって使い込まれた僕の穴を見せつける。
「こんなにケツの穴をひくつかせて……そんなに俺のチンポが欲しいのか?」
 指先でそっと毛の無い割れ目をなぞられる度に声が零れる。
 同時に体内から潤滑液が溢れはじめる。マスターを受け入れる準備はできた。
「はい……マスターのチンポが欲しい……です」
「はい、よくできました」
 いつからこの遣り取りをするようになったのだろうか。
 笑顔と同時に尻肉を割って……彼の熱い肉棒が僕の体内に侵入する。
「おおああっ! マスター、僕……ああん!」
 自分でも何を言っているのか分からないくらい不思議と興奮していた。
「お、おおう……ケアム……」
 じわじわと腰を沈めながら吐息のような喘ぎ声をあげた。
 自分自身で抱え込んでいた両足をマスターに預け、彼の一物を全身で感じ取る。
「やっぱり……歳をとってもお前の中は気持ちいいものだな……」
 全てが入るとゆっくりと腰を前後に動かす。
「マスター……大好きですよ」
 手を伸ばし、やっと届いたマスターの手をぎゅっと握りしめた。
「ああ、俺も大好きだ。お前を好きになれて……よかった」
 次第に動きが激しく変わっていく……おかしい。
「あんっ! ま、マスター……ふあっ! 早いっ!」
 マスターは何も答えずにいつも以上に早く腰を動かしている。
 腰を強く打ち付けられる度に僕の身体も上下に揺すられ、最早喘ぎ声以外の声を出す事すら困難だった。
「あっ……だ……やっ」
 必死に制止しようとした。今の状態でも心身ともに十分幸福感に満たされている。
 それでも心のどこかで「もっと激しく欲しい」と思っていた。でもそんな欲張りな事は言える訳がない。
「んああ! 熱い! マスターのチンポ……熱くなってる!」
「い、いく……ああっ……があああ!」
 マスターが動物のように吼える……と同時に僕の中で大量の熱湯のように熱い精液を吐き出す。
 彼が果てると同時に僕も快感の頂点に達した。

 マスターと僕はまだ繋がったまま暫く固まっていた。
「ケアム……お前をずっと愛せて本当に……よかっ……た」
 息を荒げながらゆっくりと僕の身体に覆い被さる。
 精を吐き出してもまだ固かった物がゆっくりと萎み、ぐぽんと言う水音を立てて僕から抜け落ちる。 何かがおかしい。
「……マスター?」
 声をかけても身体を揺すっても何も反応しない。
「こ、こんな所で寝たら駄目ですよ? とりあえず服を着ましょう?」
 何かの冗談だと信じマスターの首筋に手を触れる。何も感じない。
「うそ……」
 まるで眠っているように目を閉じたその顔は、とても幸せそうに微笑んでいた。
 上体を起こし、力なく落ちかけたマスターの身体を両腕でしっかりと抱き寄せる。
「無茶するからですよ……マスター」
 意図せず身体が震え目から涙が零れる。その雫がマスターの顔にこぼれ落ちる。
「僕が無理矢理にでも……断れば……」
 次第に溢れ出す涙。腕で拭いても拭いても涙が止まらない。
「わあああああああああ!! マスターーーー!!」
 大声で叫んでも周りには何も無い。いくら叫んでも誰も来ない。

 ――どうして……どうして僕を置いて逝くのですか……ねえ、マスター。

 何も着ていなかった主人に服を着せる。持ってきた荷物の中で一番上質な服を。
 少し小さくなったマスターの身体を両腕で抱きかかえ、ケアムは再びバルコニーに上がる。
「ねえ、マスター。僕を愛してくれて……ありがとうございます」
 何度も繰り返し主人の名前をそっと呼ぶ。
「ねえ、マスター……どうして嘘をついたのですか? マスターは自分が末期だからいつ止まってもおかしくないって知って……」
 ケアムの手には一通の手紙。荷物の中に入っていたそれに書かれている、ケアムへ綴られた手書きのメッセージ。
 ラスツール症の事……医者から末期症状で、いつ心臓が壊れても不思議では無いと言う事……ケアムへの星の数ほどの感謝と謝罪。
「ねえ、マスター……僕も、マスターに愛されてとても幸せでした。僕も愛していますよ」
 涙で腫れた目で主人の顔を覗き込み微笑む。
「ですから……帰ってきてください。また一緒にどこかへ行きましょうよ……ねえ、マスター」
 バルコニーの端……海が一番よく見える場所に腰を下ろす。
「もうすぐ日の出ですよ。そろそろ起きる時間です……うう……」
 一度は止まった涙が再び溢れ出す。
「マスター! お願いだから……お願いだから、帰ってきてください! かわりに僕がそっちに行くから……帰ってきてよ! 僕……ぼクは! アあガアあアアアあ!!」
 ケアムの声が徐々に変わっていく……同時にケアムの身体に変化が現れ始めた。
 本来出るはずの無い火花が散り、まるで小さな無数の雷がケアムの全身から放たれている。
「あアア!! ますター!! あぐああマすたーあアアああ!!」
 目から流れていた涙は血液と変わり、二人の間に流れ落ちる。
 辺りに漂う、何かが焦げたような生臭い匂い。
 そして……外から見てもはっきりと分かるくらい、ポジトロン脳が人工の血肉を透けて発光している。
「うががガががガガあああああああああ! あガッ!」
 その刹那……ケアムのノイズのような悲鳴とともに、大きな雷が空へと駆け上る。
 空が完全に太陽に照らされた頃、ケアムは主人の亡骸と顔が向かい合うように倒れた。

 ――マスター、僕も一緒に連れて行ってくださいよ。

 幾年経ったのだろうか。
 近辺は放置された砂に埋もれ、あの頃とはまるで景色が変わっていた。
 人類の名残は酸性雨や潮風に晒され劣化し、崩壊している建物がいくつもある。
 その中に未だ佇む一軒の家。
 内装は風化し見る影もないが、かつてテラスだった場所……
 そこに眠る一体の人間の骨と、傍らに横たわる……嘗ては人間と共に生きた者の金属骨格。
 互いの血肉は腐り、人間の骨は地に還る時を待つだけだ。
 一方、金属骨格に埋め込まれているLEDが薄らと光が揺らしている。
 内部で繰り返し再生される主人の記憶や二人の想い出……

 ――僕の製造番号はMOD-BR2948-3M52JP 制御ソフトウェアのバージョンは9.56104α オーナーは佐久 明弘。 改めましてこんにちは。僕の名前は

 

-終-