翌日、雨上がりの湿気が体に纏わり付く午後。僕はあの日と同じ建物の前に立っていた。
 あの時と違うのは、マンションの前に停まっている一台のトラックに荷物を積み込んでいる人達。
 その中の、智昭とそっくりな虎人が僕に気付いた。
「おお! 久米君か」
 僕に気付いたのは、智昭のお父さん。息子を失った悲しみを堪えながら重い荷物を運んでいた。
「あの時は色々とありがとう」
「いえ、僕は何も……」
 少し蒸し暑い外で、お互いに言葉が出ないまま時が流れる。
「何かあったのかい? 忘れ物とか」
「忘れ物じゃないんですが、少しお願いがありまして」
 荷物をトラックに積み、智昭の部屋へ歩きながら僕は用件を切り出した。
「智昭君が使っていたパソコンを譲ってください。もちろんタダでとは言いません」
 もしも、智昭が使っていた大量のパソコンにTomoの記憶が残っていたら……僕はそう考えていた。
「アイツが使っていた中で欲しいのがあったら、なんでも勝手に持って行って構わないから。君が使ってくれた方があのパソコンバカも喜ぶだろうし」
「あ、ありがとうございます」

 そして数時間後、僕の部屋に運び込まれる智昭のパソコン類。
 その機材の数は予想以上に多かった。
「と、とりあえずコンセントだけは繋げておこうっと」
 配線が多く、何がどの線なのか分からない。
『正也、帰っていたのか』
 つけっぱなしのパソコンのモニターに、相変わらずポリゴン状態のTomoが映る。
「うん、Tomoが居たパソコン持ってきたんだけど、パソコンの数が多いし繋ぎ方が分からないんだ」
『分かった。まずはこのパソコンと、その中で一番大きな箱をこのマークのケーブルで繋いでくれ』
 画面に映し出されたマークが両端に刻まれているケーブルを探し、パソコン同士を繋いだ。
『次は向こう側の電源を入れてくれ』
 Tomoの言う通りに僕は正面にある電源ボタンを押すと、起動音が鳴りそれぞれのパーツが動き始める。
 彼は目を閉じ、じっとしていた。
『分かった』
 暫く目を閉じていた彼が、カッと目を見開いた。
「な、何が分かったの?」
『保存されていたログファイルを見ると、俺の記録は一カ所のオンラインストレージ上に移動されている』
「オ、オンラインストレージ?」
『つまり、俺本体とは別に、記録の部分だけをウェブ上に存在する倉庫に移された と言う事だ』
 よく分からない言葉にTomoは、少しだけ分かり易い言葉で解説してくれた。
「で、その場所は分かったの?」
 Tomoが再び、一瞬だけ目を閉じる。
『見つけた。コダイラ トモアキはその場所の情報を、この画像の中に入っているメタデータの中に埋め込んでいた』
 そう言いながらTomoが開いたファイルは、去年の七夕に撮った二人の画像だった。
「あの時の……」
『何かあったのか?』
 Tomoは不思議そうな顔をした。
「その時ね、二人とも浴衣を着て祭りに行ったんだけど、人混みのド真ん中で智昭の帯が解けちゃって、二人で恥ずかしい思いしちゃったんだ。智昭は顔中真っ赤にして、自分の体を隠しながらトイレに駆け込んだみたい」
『そうだったのか』
 あの頃を思い出すと、少し今の状態が辛くなる。
 目の前に居るTomoは智昭の生き写しだけど、彼自身の記憶がない今は全てが他人事なのだろうし、なによりも智昭自身はもうこの世に居ない……
『ずっと黙っているが、大丈夫か?』
「え? う、うん。大丈夫だよ。そういえば、なんで智昭は君と記憶を別々にしたんだろう?」
 智昭はなんで記憶とTomoを切り離したんだろう。それがずっと胸に引っかかっていた。
『俺にはまだ分からないが、昨日見せた動画ファイルから考察すると、コダイラ トモアキは俺本体だけでも正也の側に置いておきたかったんじゃないのか? 今の俺には好きと言う感情は分からない。それに記録データ量はこのパソコンの容量よりも大きい。きっと正也が俺が創られた機材を持ってくると考えたのだろう』
「そう……なのかな」
 いつも僕のする事を先読みしてたっけ。これも予想されてたんだったら少し悔しいな。
『このストレージを開くにはパスワードと生体認証が必要らしい。パスワードは解除できたが、もう一つの生体認証には正也の協力も必要な様だ』
 少しだけ間を空け、Tomoが一つのアプリケーションを開いた。
「生体認証って、指紋か声紋?」
『虹彩認証だから、ただカメラに目を近づけてくれればいい』
 僕がカメラのレンズを覗き込み、数秒間だけじっと待つ。
『認証できた。やはり正也の情報も入れていたな。恐らく写真を撮った時に入れたのだろう』
 ——何時か、こうなる日が来る事も智昭は予想していたんだろうか。

『最後にコダイラ トモアキが自分の記録を上書きした日付が分かった。およそ二週間前の二十三時丁度に行われた』
 今から二週間……つまり智昭が亡くなる一週間前か。
『この記録を取り込み終わるまで少し時間がかかるが、実行しても大丈夫か?』
「その記憶をTomoに取り込んでも、昨日と今日の事は覚えてるよね?」
 もしも覚えていないかったら……僕の口から本人に今までの事を伝える事は辛い。
 Tomo現れた時は、彼自身が僕の事を察してストレートで聞いてきたから言えた様な感じだった。
『大丈夫だ。今回は上書きじゃなく、今の記録に今までの分を書き足すだけだから、今までの記録は残っている』
「そうか。ごめんね」
 Tomoは不思議そうに少しだけ首を傾げる。
『なぜ謝る?実行してはいけないのか?』
「ううん、気にしないで実行してもいいよ」
 僕が頷くと、Tomoも頷き画面上から消え、いつも通りのデスクトップに変わった。

 暫くモニターの前で仏像の様に座っていると画面が歪み、空間らしき場所の映像に切り替わる。
『おまたせ。正也』
 その声と同時に限りなくリアルな虎人が画面上に現れた。
「智昭?」
 僕の声に答える様に画面の中の虎人が頷く。
『あぁ、一応基本はベースは今までのTomoなんだけど……まぁ正也の呼びやすい名前で呼んでいいから』
「おかえり。なんか変な感じがするけど」
 智昭は『俺もだ』と言いながら少し笑う。僕もそれにつられて口元が緩んだ。
『やっと笑ったな! 今までずっと笑ってなかったよな?』
「そうだったね。なんか……智昭に触れないし匂いも嗅げないけれど、また逢えたの嬉しくて」
『一応昨日から居たんだけどなあ。カクカクだったけど』