——そう遠くない未来。
    ——あの日と同じ、雨が降っている時に『彼』は現れた。

 事の発端はおよそ一週間前まで遡る。
「智昭? いるー?」
 僕は一週間近く音沙汰がない彼のマンションを訪ねた。
 職場に出社せず、彼の携帯電話にかけても出ない。
 雨の中、持っていた合鍵で玄関の鍵を開ける。そこで見た光景に目を疑った。
「と……智昭!?」
 玄関先で倒れている大きな体。それは紛れも無く、恋人の小平 智昭(こだいら ともあき)の体だった。
 靴を脱ぐのも忘れ、彼に近寄り体を揺らすが体からは反応がなかった。
「ねえ! 智昭! 起きて!! お願い!!」
 やがて、普通じゃない声が聞こえたのか、隣の部屋の若い男が背後から僕に声をかける。
「うっせーな。何があったのか? ちょっ……大丈夫かよ! いま救急車呼ぶから待ってな!」
 僕の腕の中で、明らかにただ事じゃない智昭の顔。それを見たのか、彼は自分の部屋に素っ飛んで行った。

 ——しばらくすると、サイレンの音が聞こえた。どれぐらい経っていたのか分からない。
 走ってくる救急隊員は僕の体を押し退け、ぐったりしている恋人の容態を見ると、急いで病院へと運んで行った。

 僕は、病院でどれくらいの時間待ったんだろう。
 病院から連絡を受け、駆けつけた彼の家族から聞かされた彼の死。
 急性心筋梗塞で倒れた時に、壁に頭を打ち首の骨を折ったそうだ……まだ三十歳の誕生日も迎えてないのに。
 彼の身に起こった事を聞かされた時、絶望感が襲う。
 そして彼の家族と一緒に、智昭の亡骸を確認する。安らかな彼の寝顔が見えた同時に僕は全身の力が抜け咽び泣いた。

「嘘だ……そんなの嘘だ……お願い! 帰ってきて!」
 その声は病院の霊安室に虚しく響いた。

 ——あれから一週間。
 僕はずっと写真に写る二人の想い出を見ている。
 何もやる気になれず、カーテンを閉め切った部屋で、壊れたレコードみたいにずっと智昭の名を呼んでいた。
 機械音痴の僕の為に彼が組み立ててくれたパソコンのモニターの光だけが、僕を薄らと照らす。
 ——もっと早く行っていれば彼は死ぬ事が無かった……もっと早く気付いていれば……。
 独りで自分を責めた。彼の事を考えると同時に浮かぶ自責の念。
『なんで、そんな悲しい顔をしている?』
 部屋の片隅に置いてあるパソコンから声が聞こえた。それは聞いた事のある声だった。
「智昭?」
 急いでパソコンの前に座る。暫く声を出していなかった故なのか、少し喉が痛い。
 モニターに映し出されていたのは、二人で撮った画像ではなく、初期のゲームに出ている様なポリゴンに模様が入った虎人らしき映像。
『ここはクメ マサヤのパソコンでいいか?』
 画面の中から聞こえてくる僕の名前。智昭の声だが、なぜか冷たい。
「うん、これは僕のパソコン」
 少し間が空いた後、分かりづらかったがモニターの中で頷いた様に見えた。 
『把握。カメラで顔を認識できない。部屋の輝度をあげられるか?』
 なんとなく「部屋が暗い」と聞こえたから、立ち上がり部屋の照明を点ける。
『認識。俺の名前はTomoと呼ばれていた』
「トモ?」
『T-o-m-o Tomoだ。俺を創った人がそう名付けた』
 角張っている彼に、智昭を重ね合わせる。
「創った? どういう事?」
『創った人の名はコダイラ トモアキ。彼はArtificial IntelligenceとArtificial Consciousnessなどの技術を独自のアーキテクチャでプログラムし、彼の記憶を俺にコピーした』
 彼の口から出てくる単語は分からなかったが、亡くなった小平 智昭の分身がTomoだと言う事は理解できた。
『以前は彼のLAN内にあるワークステーションでしか活動しなかったが、七日間アクセスが無かった為、システムプロセスが強制実行され、俺をLAN外に送信した』
 ……専門的な言葉が多く、僕にはサッパリ分からない。智昭は昔から僕には解らない事をよくやってたっけ。
『強制実行された際、コピーされた記録も断片化され、九割九分がネットワークに散った。そのうちの一つがクメ マサヤのパソコン内に保存されていた』
「今はどれくらい覚えているの?」
『現在は全体の数パーセントの記録しか無い。残りは何処かの空き領域を彷徨っているのだろう』
 つまり、二人の想い出や子供の頃の記憶は、ネットの海を漂ってると言う事なのか?
「ちなみに、どうやって見つけるの?」
『バックグラウンドで、残っていた記録から抽出したキーワードでネットワーク全体を検索している。すぐには見つからないだろう』
「ふーん……」
『俺の記録の中にファイルが埋め込まれていた。ウィルスは検知されない。再生するか?』
「うん」
 モニターの中のTomoが何かを取り出す動作をすると、勝手に動画が再生された。
『やあ正也』
 動画には本物の智昭が映っていた。
『このプログラムを見てるって事は、俺に何かあったんだな? こいつはTomo。俺が創った俺自身の分身A.Iなんだ。完成まで五年くらいかかったんだ。でも……俺はこの世界に居ないんだよな? もしそうなら忘れ形見と思ってパソコンの中に置いておいてくれないか? 頼む。俺からの最後のお願いだ。生涯で一番大好きな久米 正也へ』
 映像の中でだんだん智昭の表情が曇っていく。

 ——映像が終わると僕は涙を流していた。この一週間で一生分泣いてもう出ないと思っていた涙が、この時は滝の様に溢れ出した。
『涙を拭け。コダイラ トモアキは死んだのか?』
 再びTomoに切り替わり、主の事を聞いてきた。
「急性心筋梗塞って言うやつでね。丁度一週間前だよ。その時も今日みたいに雨が降ってた」
 涙をぬぐい立ち上がって閉めていた窓を開けると、少しヒンヤリとした空気が僕の茶色の毛を撫でる。
『残された側にとって人の死と言うのは辛いんだな。クメ マサヤの様子を見て分かった』
 スピーカーから聞こえてきたのは、先程とは少しトーンの違うTomoの声。
「正也でいいよ。フルネームで言われると他人みたいで嫌だから」
『分かった』
 さっきは『把握』や『認識』としか言わなかったTomoが、初めて『分かった』と言った事が少し嬉しかった。



ー補足説明ー
Artificial Intelligence=人工知能 A.I
Artificial Consciousness=人工意識 A.C
アーキテクチャ=構造・設計
LAN=ローカル・エリア・ネットワーク
ワークステーション=システムの中核(対義語としてクライアント=一般のパソコン)