3

 シルの監視役に回る事もなく、皆と楽しく酒を飲む事が出来た。
 すっかり泥酔した二人を寝かせた深夜、私とテリは再びあの森を訪れる。
「それで? 今回はどうやって私をその気にさせるのだ?」
 半ば揶揄うようにテリの顔を覗き込み、彼の腹をそっと指先で撫でる。
「あのなあ……」
 彼も満更でもない様子で、私の腰に手を置きゆっくりと撫で回す。
「どうする? 何もしないのなら私は帰ってしまうぞ?」
 どこかで聞いたような台詞を再び紡ぐ。これではまるで発情期の雌ではないか。
 次の瞬間目の前が彼の谷間にある胸毛に包まれ、彼の濃い匂いを肺いっぱいに流し込む。
「そう意地悪を言うなよ……やっと二人きりになれたのによ」
 優しく力強く抱きしめられ、私は一種の安心感にも包まれる。
「そう……それで良い」
 ゆっくりと目を閉じ彼に体を預ける。
 自慢の長い舌が私の口が受け入れ、少しずつ二人の唾液を交換し……
「んっ……」
 私も体の奥がじんわりと熱くなって……こない。
 テリの愛撫が下手になっている訳では無い。彼の舌遣いに興奮を覚えてはいるが、それとは別に何か刺さる様な不自然さも感じる。
「なあフェア……」
 彼も気づいている様だ。私の舌に絡み付きながらも重ねた唇の隙間から声を漏らし、目はしきりに辺りを見回している。
 一瞬テリが茂みの中を睨みつけると、そこの木々がかさかさと揺れ……
「流石ですね。テリさん」
 茂みの中からゆっくりと線の細い影が動き、月明かりに照らされ私達にもその姿が鮮明に見えた。
「誰がいるかくらい匂いで分かるわド阿呆。俺の匂いに鼻が利かないフェアよりもな」
 テリは現れたライに一喝する。
 私はテリの強い体臭に飲まれ、少しだけ鼻が利かなくはなっていた事は否定しない。
「気配は消せても匂いでばればれ……ですか」
「な、何をしにきたんだ」
 平静を装ってはいるが、テリにしか見せられない部分を見られ内心穏やかではない。
「最近二人の様子がおかしかったので、気になって跡をつけてきただけです」
 なんとも趣味の悪い……直接私たちに聞けばいいものを。
「俺とこいつとの関係がばれた時、俺らが『頼むから他の奴らには黙っていてくれ』と懇願するとでも思ったか?」
「いえいえ、そんな事は思ってもいませんよ」
 テリはぐるると唸り、怒りに満ちた顔をしている。
「じゃあ、何が目的だ?」
「こんな夜中に二人で抜け出して何をするのかとつい思いまして。隠れて二人の様子を見ていたら……フェアさんを見ていたら艶やかさについ……熱くなってしまいまして」
 ライの下腹部は確かに大きな生き物の様な物がびくびくと動いている……この状況で勃起しているのか?
「まさか混ざりたいとでも言うつもりじゃないだろうな?」
 ライは即答するかのように首を軽く縦に振る。
 そう言うテリの先ほどまで元気に怒張しかけていた雄も、少しだけ大人しくなってはいるが未だに硬さを保っている。どっちもどっちと言う感じだろうか。
「私は混ざるつもりはない。私はもう疲れた」
 元気に天を仰ぐ二人を尻目に私の盛り上がりかけていた気持ちはすっかり萎えかけていた。
「いいんじゃないか? たまには二人でフェアを前後で犯し合うのも良いと思うが」
 何を言っているのだこの男は。彼の巨根に当てられでもしたのか?
 ライもまんざらではないようで、高く振り上げた尻尾がその全ての感情を物語っている気がした。
「私は帰る。そろそろ夜も明けるしな」
 空は白み始め、森の奥では朝の早い野生種が起き抜けに発声練習をしているようだ。
「じゃあ俺とライで……駄目だよな」
 私が睨みつけると彼は一気に大人しくなり、軽く咳払いをして誤摩化していた。
 全種族の中で巨根の部類に入る馬族の雄に私自身が興味は無いと言えば嘘になるが、三人でセックスする気は毛頭ない。
 ましてや服越しに堂々と浮き出ているその凶器を受け入れる覚悟もできていない。
「まあ……なんだ。今は戻ろうか。俺も眠くなってきたしな」
 テリは大きな欠伸をしながら軽く腕を伸ばす。
「あの……すみません」
 ライも熱が下がったのか急に冷静になったのか、消え入るような声で深々と頭を垂らす。
「気にするな。こそこそしていた私達も悪かった……が、他の人に話すなんて言語道断だからな。喋った暁にはお前の自慢の鬣がなくなる事になるぞ?」
 冗談のつもりで言ったのだが、ライは自慢のさらさらな鬣を撫でながら、さっと耳を後ろに伏せていた。
 道中、誰も一言も口にしないまま宿へと戻る。

「おはよ」
 どうやら普段は誰よりも遅く起きるシルに起こされてしまったようだ。
「ああ、おはよう」
 何時に寝たのか忘れてしまったが、おそらく仮眠程度にしか眠れていないだろう。
「いま……何時だ」
 なかなか離れない眠気を無理矢理追い出しながら体を起こす。
「お昼前。さっき誰か来たよ」
 来客か。ここに来るとは珍しい。
「誰かとは……誰だ?」
「分からない。名乗らなかったけど細身で白い虎族の男の人だった。フード被ってて顔つきはよく分からなかったけど」
 白い虎……私には思い当たる節が無い。他の二人の知り合いだろうか?
「ただ、開けたドアの隙間から誰かを探しているみたいに部屋を覗き込んでどこかに消えた。ちょっと怖かった」
 急に嫌な予感が心の中で暴れ出し、急ぎ足でドアを開けたが既にそいつの残り香は四散しまっているようだ。
「おう……どうした」
 どうやら私の足音でテリとライが目を覚ましたようだ。
「いや……なんでもない。とりあえず何か食べに行こう」
 この予感は気のせいだと思いたい。それを忘れるかの様に外の空気を吸い込む。
 四人で街の酒場に歩いているとどこからか呼び出し音が鳴りはじめる。
「あっ……ごめん」
 急にシルがこそこそと胸元から一本の棒を取り出し、端を耳に当てる。
「はい……ご無沙汰しています」
 急に真面目な口調……恐らく彼の身内だろう。
「あいつ、いつの間にテレニウムなんて持っているんだ? 俺ですら持ってねえのに」
「最近持たされたらしい。彼にも事情はあるのだろう」
 彼は自分の父親から半ば脅されてテレニウムを持たされたと聞いている。
「テリとライは先に行っててくれないか?」
「あ、ああ。行くぞ」
 無論、他の二人が知る事もない。妙な気を使われたくないと言うシルから頼みだ。
「終わったか?」
 待っている私に近づいてきたシルは耳を伏せ、こくりと頷く。心無しかテレニウムを持っている手が震えている気がする。
「少し……座ってもいいですか?」
「ああ、そこでいいか」
 近くの長椅子に座り、彼の震える手をそっと握る。暑い訳でも走った訳でもないが、彼の肉球はぐっしょりと汗で濡れていた。
 街を行き交う様々な種族を眺めながらシルは呟く
「あの人から完全に逃げられる生き方ってあるんですかね」
 半ば諦めのようにも聞こえる……が。
「しがらみから逃げられない生き方もあったが、お前はこうやって少し離れる事ができた。それでもいいじゃないか」
「そう……なんですかね」
 彼と初めて会ったのは誰もいない工場の跡地だった。傷だらけでぼろぼろの服のまま雨に濡れ、まるで世界を拒絶するかのように初対面の私を威嚇していた。
 彼を受け入れて早五年……時々フラッシュバックのように思い出してしまう。
 何年経っても幼少期から叩き込まれた彼のトラウマはなかなか払拭できないようだ。
「もう、大丈夫」
 握りしめていた手からいつの間にか震えが消えていた。
「そうか。では行くか」
 いつまでもテリとライを待たせる訳にはいかない。
 シルはよろよろと立ち上がり、私の後ろをゆっくりとついてくる。

「おう! 先に食ってるぞ!」
 二人はテーブルに山盛りに料理が積み重なっている食べ物を、野生種の食事にも似た乱雑さで食べていた。
「そ、そうか……シルは何が食べたい?」
「オレは……これで」
 そう言いつつメニューを指差す。あっさりとした野菜スープのようだ。
「なんだ? 食欲無えのか?」
 真正面に肉をがっつきながら座っていたテリがシルの様子に気づく。
「うん……ちょっとね」
 体の震えは収まっても、心の状態はまだ戻らないか。
「まあ、何か喰えば元気になるだろ……おいライ! それは俺のだろうが!」
「いいえ、自分のですよ。テリさんは何時もがっついてばかりで……全くもう」
 横から皿を奪い取ろうとしているテリをさらりと避け、自分のテリトリーでそれを口に運ぶ。
 獲物を奪われたテリはと言うと、さっさと次のターゲットに手を伸ばしている。
「いい加減にしろ。静かに食えないのか!」
 一喝してもまだ牽制しあいながら食べている様子。
 少しは静かに食べていたが、急にがつんと大きめの音がしたので二人を見ると、お互いに残り一個のパンを静かに取り合っていた。
「私はもう良い。外で待っている」
 手に持っていた手拭きをテーブルに叩き付けるように置いて一人で外へ出る。
「はあ……」
 近くにあったベンチに腰をかける……私は何をこんなに苛ついているのだろう。
「やっぱり、オレの事ですか?」
 横を向くと、いつの間にかシルも私の隣に座っていた。
「いや……全く違うな」
 思い当たる事をいくつか自答自問してみる。
「そうっか……ごめんなさい」
「謝る必要はないだろ?」
 ただでさえ猫背で丸い背中をさらに丸めて小さくなっている。
「先に帰るか?」
 シルは何も言わずにただ首を横に振る。
「おう。すまねえな……あのな」
 テリとライが店から出てきた。
「帰るぞ」
 また苛ついている……なぜだ。三人に背中を向けながら再三自答自問してしまう。
 自答自問しているうちに宿の目の前まで来ていた。
「どうしちまったんだよ。いつものお前らしくないぞ」
 建物に入る直前、テリに腕を引っ張られる。
「な、なんでもない」
「何でも無い訳ないだろう……さっきの事が原因か? それであれば……すまない」
 さっきの食料の取り合いの事を言っているのだろう。
「いや……その事で苛ついている訳ではない」
 あれが怒った本当の原因ではない。私の中で私を苛つかせる何かがある。
 テリの手を振りほどき、私一人で宿の中へと入る。

 後ろから私を追う様に三人がついてくる。私は彼らに何も言わずに自室のドアノブに手をかけた。
 だが、ドアの向こう側で誰かが動いているような気配を感じる。
 空いている片手を上げ、後ろの三人に合図を送ると、ゆっくりとテリが扉の反対側につく。
 テリと目を合わせ、手をかけているドアノブをゆっくりと回してドアを開ける。
 ドアを開けたその先……私達の部屋に漂う部外者の匂い。
「誰だ!」
 窓際のベッドに腰をかけている目深にフードを被っている体格のいい男。
「よお」
 ベッドに腰をかけたまま私達に向け軽い挨拶をしてくる……誰かの知り合いか?
「あ、今朝の」
「あんた……なんでここにいる」
 私とテリの後ろからシルとライの声が聞こえ、頭で考えるより先に体が動く。
「お、おいフェア!」
 後ろから聞こえるテリの声が徐々に遠く感じ、次に気がつくとフードの男を床に押し倒し、奴に股がり胸ぐらを掴んでいた。
「なあライ。この偸盗と知り合いか」
「ははは……偸盗とは酷い言われ様だな。まあ、端から見れば似たような事か」
 私は腰元に差していた短刀を素早く抜き取り、フードの奥で笑う男の喉元に向ける。
「黙れ。貴様には聞いていない」
「お、おいフェア! 落ち着けって!」
 後ろからテリに羽交い締めにされ、男から引き離される。
 骨が砕けるくらい後ろからぎりぎりと締められ、手から短刀がするりと抜け落ち床に突き刺さる。
「一体どうした? 今日のお前なんか変だぞ!」
「う、うるさい」
 背後からの締め付けが緩んだ一瞬を見計らってテリから抜け出す。
 ふうとため息をひとつついてはみるが、部屋に漂う数分間の重い空気。
「知り合いですよ」
 その静寂をライが静かに破る。
「知り合いとは随分と淡白な言い草だな」
 ゆっくりと男は立ち上がり、ずっと被っていたフードを脱ぐ。こいつが今朝シルが言っていた白い虎族か。
 冷静に奴を見ると、シルとは反対にがっしりと筋肉がついた体つきをしている。
「昔は毎晩精魂尽き果てるまで体重ねた間柄なのに、離れてみればあっさりしているんだなライは」
「ワズ、ちょっと黙ってろ」
 そう言う間柄か。
「ライの知り合いか。刃を向けてすまなかった」
「い、いや……俺こそ勝手に入って悪かったな」
「それで? 誰にも教えずに離れたのになぜここが分かったの? と言うかなぜ来た?」
 今度はライが鼻息を荒げる。彼も少しいらついているのだろうか。
「少し、ワズと話してくる」
 ワズと呼ばれている虎族の男の太い手首をがっしりと掴む。
「すぐに……夕方までに戻りますので」
 部屋を出ようとした瞬間に見えたライの目は、どこか虚ろで冬の海より冷たかった。
「おい……大丈夫か?」
 ライとワズが去った後、テリは部屋の外にいたシルに声をかけるが返事が聞こえない。
「どうした」
 廊下を覗くと、ずっと静かだったシルの姿がそこにはあったが……耳を伏せ体を小刻みに震わせながら完全に怯えている。
「すまない……終わったからな」
 シルの肩に軽く触れる。震えこそ少し治まったが未だに耳は突っ伏したままだった。
「テリ、すまないがシルを頼む」
「おう。余程フェアの殺気が怖かったんだろうな」
「うるさい。それと……取り乱してすまなかった」
「ん。いいって事よ。んじゃあ行くか」
 ひょいと重いシルを軽々と抱え上げ、荷物部屋として借りている隣の部屋に入る。
 ワズとやらに対して向けた私の刃が、シルが幼少の頃に受けた心的な傷を思い出させてしまったか。

 二つの月が昇る前にライだけが重い空気を纏いながら戻ってきた。
「フェアさん、少し話しがあります」
 散乱した部屋の片付けをしていた私を見るや否や私の目の前に座る。
「先ほどはすみません」
 いつもの生真面目さに輪をかけるような鋭い眼差しで私の目を直視する。
「ワズとやらについて行くんだろう?」
 薄々そんな予感はしていた。
「いいえ……確かに彼からそう言われたのですが……はっきりと断りました。また仲間に迷惑をかけたくないので少し独りで野良として流れて自分を見つめ直してみます」
 ライの口から出た言葉は私が思ってもいなかった答えだった。
「私たちは先ほどの事など迷惑とも思っていないが……それでも出るのか?」
 ライは俯きながらも深く頷く。
「無理矢理にでも止めたい所だが、一度決めた事は私が止めた所で突き通すのだろうな」
 おおかた全員が寝た所をこっそり抜け出す……と言ったところだろうか。
「よくご存知ですね……その通りです」
 首筋の鬣を撫で、少し笑う。
「この事は他の二人にも言ってやってくれないか……いつ頃発つつもりだ?」
「あまり長くここに居ると心がぶれそうなのですぐにでも発ちたいのですが……明日の早朝にでも」
 薄らと涙を浮かべ、手を思い切り握る。
「分かった。後の事は心配するな。戻りたくなったらいつでも来い」
「ありがとう……ございます」
 ライはそう言うと僅かに涙を零し、深々と頭を下げる。
 別室で落ち着いたシルと、傍で看ていたテリにはその後すぐに話をつけた。
「い、いやだ……」
 子供のようにぼろぼろと涙を零し、布団を頭まで被り踞るシル。
「そうか」
 あっさりした返事のテリ。彼もそんな気がしていたのだろうか。

 二つの双子月が沈み、外からまたいつもの朝の音が聞こえ始める。
 微かな物音に目を覚ます。隣のベッドではライが身支度を整えていた。
「行くのか」
「はい。寝ている間に出ようと思ったのですが……起こしてしまいましたね」
 槍と腰元に小さなバッグ……随分と軽装だ。
「朝食は……いいのか?」
 まだ開ききらない目を擦る。
「ええ、皆が起きてしまうとまた心が揺らぎそうなので」
「ちょっと待っていろ……これとこれを持って行け」
 革袋に入った金貨をライに渡す。
「こんなに……餞別ですか?」
「そう言う意味ではない。今まで色々やってくれた報酬だ。当面の生活費にでもしてくれ」
「ありがとうございます」
 もう一つ、革袋より一回り小さく青い布袋をライに渡す。
「これは何ですか?」
 指先で袋の紐を解こうと四苦八苦しているが、開かない。開かないようにしているのだから当然だ。
「その時が来たら分かる。お守りだと思って持っていろ」
「わ、わかりました」
 布袋をバッグの端に結びつける。
「これは『さようなら』ではなく『いってらっしゃい』だからな」
 私はそう言うとライの尻臀をぱちんと叩きあげる。
「はい! いってきます!」
 静かに扉を明け、ライは朝日の中に消えていた。